条件反射的に、首をすくめてしまう。そしてその状態のままデパートで見掛けるようなマネキン人形になってしまったのかと錯覚するほど身体がこわ張って元に戻せなくなる。
それからひっこめた首だけをぎこちなく背後へと回し、視線を音がやってきた方へと向ける。
ベランダからの日差しがあまり届かずにまだ薄暗いままの玄関がある。その奥にひっそりと赤いドアが佇んでいる。
誰かがやってきたらしい。そして今あの向こうに立っている。
この時刻ならおそらくあいつが来たわけではないはずだ。宅配の人であることのほうが大いにありえた。ただ指押し式のチャイムの音のためがやけに長かった、気がした。
僕は沸いてもいない唾を飲み込んだ。
とりあえず何を置いてもお母さんに任せた方がいいと思った。
カーペットに手をついて静かに立ち上がると、洗面所に向かった。
なかをのぞくと、水の跳ねる音が聞こえてきて、お風呂の曇りガラスがぴったりと閉じられていた。脱衣籠を見るとスーツやワイシャツなどが乱雑に放り込まれている。呑気にもこんな時にシャワーを浴びているようだ。
もしかしたら昨日はお風呂に入れなかったのかもしれないと思った。
ピンポーン。
もう一度チャイムが鳴った。
廊下の先のドアを見る。喋れるわけでもなく表情があるわけでもないのにこっちにきて対応しろと迫っていた。
心のなかでほんのささやかではあるけれど怒りが沸いてきていた。しつこく理不尽を振りかざして日常を乱そうとしているあいつへの怒りだった。
もしまたあいつだったら、このまま負けていてはいけないと僕は思った。
何かしてやろうというつもりはなかった。けれど脱衣所から離れ、玄関へと向かった。
靴下のままでも構わずにドア前のコンクリートの床に降りると、つま先を立たせる。
ドアに手をつき覗き穴を覗いてみると、そこには誰も映っていなかった。一昨日のときのように真っ暗で、外の様子も確認できないようになっていた。
あいつが来たのだ。僕は下唇を噛んだ。
そして向こうは微かな物音で、僕がやってきたことを敏感に感じとったらしい。いつもの言葉を投げかけてくる。
「お母さんよ、開けて」
どこまでも疑いようもなくお母さんそっくりな声だった。
耳の奥から全身へと悪寒が走っていき、鳥肌へと変わっていく。もう二度と聞こえないように耳を塞ぎたくなる。
けれどありったけの意気地を絞りだして両手を握り締め、歯を食いしばって堪える。
それから僕は反撃に出ることにした。べつに外へ出て闘うわけじゃない。だから怖いことなんてないのだ。
僕はあいつにはっきりとドアを開ける遺志がないことを告げてやらなくてはいけない
「お前はお母さんじゃない!」
「何言ってるよカズ」「鍵忘れちゃったんだからここ開けてよ」
しかし今度は声質だけではなくて、喋り方まで似せて切り替えしてきた。
「か……鍵なんてない」
「たぶん下駄箱の上に置きっぱなしじゃない?」
下駄箱の上に目をやると、ペットボトルのおまけの人形たちの中に混じって、招き猫のキーホルダーがついた鍵が置いてあった。
お母さんを呼びにいきたくなる。どうやって知ったのだろう。ドアさえ開けなければあいつは入ってこれないはずなのに。
「あら。ちょっと待って」
微かにドアに触れて何かをしている物音した。
暫くして、なにを「覗いてみなさい」と声がする。