小説

『お留守番』大場鳩太郎(『オオカミと七匹の子ヤギ』)

 翌日、学校に行っても、結局、昨日のあいつが誰だったのかはわからなかった。
 同級生の悪戯だったのならからかったり名乗りを上げてきたりするはずだった。けれどそれがない。ということは犯人が本当に泥棒か変質者であった可能性が高いと言うことだった。
 僕は気になったけれどそれ以上考えるのは怖くなるので止めにした。こういうことは早いうちに忘れてしまったほうがいいのだ。

 放課後、帰宅した僕は暗くなる前に家の明かりをつけることにした。
 今日はたいしてするような家事がなかった。流しにあったはずの朝の食器もお母さんが出かける前に済ましてしまったようで残っていない。
 なので僕はテレビゲームで時間を潰すことにした。こうときにはゲームをやるのが一番だった。気分が盛り上がるし、なにより時間が早く過ぎる。
 テレビに繋ぎっぱなしだったゲーム機にスイッチを入れようとすると、ふいに玄関のチャイムが鳴った。
 なにか忘れ物を取りに来たのかもしれないと思い、周囲の床を見回したがそれらしい物は見つからなかった。
 僕はなんだろうと思い立ち上がってぎくりとする。
 壁掛け時計が目に入ってしまったのだ。
 黒い枠の中でせわしなく動く秒針を無視して長針と短針が止まっている。それぞれ真下と左を差していた。
 六時四十五分。それは昨日のチャイムが鳴ったのと同じ時刻だった。
 嫌な予感がした。
 応対しようか迷っていると、催促するようにチャイムが鳴った。
 僕は仕方なく、カーペットから冷たいリノリウム張りの玄関へと足を運ぶ
 ドアの数歩手前手で立ち止まる。
 なんとなくドアに近づくのは躊躇われて、覗き窓を覗くのを止める。
 代わりにドアの向こう側へと尋ねることにした。
「どなたですか?」
 するとすぐに聴きなれたよく通る声で「お母さんよ」と返事。
 僕はほっと息をついた。身体のなかをじわじわと巡っていた緊張感が一気に抜けていき、代わりに脱力感が生まれる。
「ちょっと待ってね」
 僕は餌を目の前に出されたイヌのように急いでドアへと駆け寄ると、ノブの下にある錠を解く。
 すると向こうからノブが捻られて、内側にドアが押される。
 けれどもドアはがんという音とともに揺れてほんの少しすきまが開いただけで停まってしまう。チェーンをまだ外していなかったせいだった。
「ちょっとまって。一度閉めるから」
 またうっかり者と言われてしまうと思い、僕は慌ててノブをとっていったんドアを閉めようとした。
 しかしそれよりも素早くすきまから何かが差し出された。
 そして僕の腕を掴む。
「え?」
 ぎゅっと締めつけられる。まるで氷のように冷たい感触。
 何事かと目をやり、心臓が跳ね上がった。
 そこには大人の手があった。お母さんのように細くはなく、ごつごつして大きかった。指は太く節くれ立っており、皺だらけの甲は血管が膨れ上がり、全体的に長く濃い毛がびっしりと生えていた。
「ひっ!」
 喉からしゃっくりのような音が漏れた。
 向こう側にはお母さんがいるはずなのにどうしてこんな手が出てくる。
考えるよりも先に、本能的に握っていたノブを離し、その大きな手を振り払おうとする。
 けれども子供にはどうすることもできないような強い力が込められているせいで、僕の腕はびくりとも動かすことができなかった。
「お母さんよ。ここを開けて」
 そしてドアの小さな隙間から再び綺麗な声が入ってくる。それは間違いなくお母さんのものだった。
 なにがなんだかわからない。お母さんが誰か人を連れてきてからかっているのだろうか。でも僕が本当に怖がりであることを知っているからそんなことは一度だってしなかった。どういうことなんだろう。

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