小説

『カメはウサギを追いかける』橋本成亮(『ウサギとカメ』)

 嬉しいことは嬉しいんだけどね。何だろう、川野さんに勝ったっていうより、洋に負けたって感覚のせいかな、リレメン入りは嬉しいけど、素直に喜べない自分もいる。洋にはやっぱり勝てない。
「どうした? あんまり嬉しそうじゃないじゃん」
 こいつはこういうところに目ざとい。他人のことをよく見ている。ごまかそうとしても、こいつはきっと納得はしないんだろうな。
「いや、嬉しいさ。嬉しいけどさ、洋に負けたなー、って」
 そこまで本気のトーンで話すのも何だかためらわれて、俺は冗談半分の笑みを浮かべながらそう答えた。
「お前にはまだ負けねーよ」
 いつも通り、自信ありげな返事だ。
「まだって、何だよ。俺みたいな凡人は洋には勝てねぇよ。敵わないっす」
 皮肉まじりにそう言ってしまった。
 だめだな、こんなこと言うつもりじゃなかったのに。こいつは俺が自分の才能に絶望しているなんて考えもしてないんだろうな。
「わかんねぇだろ。お前、今日だって今まで勝てなかった川野さんに勝てたじゃん。いつか、俺にも勝つかもしれないだろ」
「川野さんとお前は違うだろ。川野さんと俺はカメで、お前はウサギだ」
 つい語気を強めてしまった。わかってねぇんだよ、自分が特別だとそれを普通だと思ってしまうから。
 川野さんは、少し速いカメだった。俺は普通のカメ。普通のカメが練習をして少し速いカメには勝てても、ウサギには勝てないままだ。
「違わないよ。俺も、川野さんも、お前も、人間だ。ウサギでもカメでもない。川野さんより練習をしたから、お前は川野さんに勝てたんだろ」
「でも洋には勝てなかった」
「そんなの、これからの練習次第じゃわかんねぇだろ」
「分かるよ、お前は全中で決勝まで進んだ才能がある。俺なんか県大会だぜ? そんな俺がお前に勝つなんて、夢物語もいいところだ」
「じゃあ何で、お前は走ってるんだよ」
 そんなの、諦められないからに決まっている。
 俺がカメだと分かっていても、ウサギに勝てる日を夢見ているからだ。それがあまりに現実的じゃないから、悩んでいる。苦しんでいる。
「お前には遅いやつの気持ちなんて分からないよ」
「分かるよ」
 瞳を見つめられた。昨日の説教の時と同じ、まっすぐな目だ。気休めでも、表面的でもない。
「俺が何で鶴峰を選んだか分かるか?」
 急に訊かれて、つい真剣に答えを探してしまった。
 家が近いから、アットホームな雰囲気に惹かれたから、候補は思い浮かんでも、これこそが真実だと思えるものは無かった。
 うちの学校は県内ではそれなりだけど、全国的に見て強豪というわけではない。少なくとも、全国トップクラスのやつがわざわざ選ぶような学校でないことは確かだ。とはいえ、真っ先に有り得ないと否定するほど弱くもないし、洋がうちに来た理由なんて考えたことも無かった。

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