珈琲を持っていく。湯気の上がるカップをしばらく見つめてから手に取った。目をつぶり香りをしばらく堪能した。その後カップに口を付けた。珈琲を喉に流し込みしばらく味わってから、こちらを見て微笑んだ。
何も言葉はいらなかった。それだけで十分だった。俺の珈琲を気に入ってくれたのだ。飛び上がりたいほど嬉しかった。彼女は珈琲を飲み終わると、レジで「美味しかったです。ありがとう」と言って出て行った。最高の客だった。
「やっぱ、美女は珈琲の味が分かる」
自分では気づかなかったが、俺は相当にやけた顔をしていたようだ。ヤスさんに揶揄われた。ヤスさんが、彼女は2軒先の宝石店の店員で1ヶ月ほど前か
ら働いていることを教えてくれた。宝石店は赤字が続き閉店寸前だったが、彼女が来てから売り上げも持ち直していると知った。
次の水曜日だった。その日は両親の元へ行く予定があった。店を開くにあたり、両親から資金の援助をしてもらっている。呼ばれたら報告に行かなけらばならない。引導を渡されるかもしれないと思った。覚悟はしていた。これ以上赤字が続けば覚悟しなければならないと思っている。
せめて旨い珈琲を飲ませてやりたいと思った。実家へ向かう前にルパンに寄った。まだ薄暗い早朝の水曜日ということもあり、商店街には人っ子1人歩いていなかった。
珈琲の用具を一式バックに詰めていると、明かり窓を1人の脚が通っていく。「こんな朝早く、誰だろう」と思わず見た。美しい歩き方だった。その歩き方で「彼女だ!」と思った。だがいつもと違いスエットのようなものを履き、靴はスニーカーだった。「休みの日なのでアウトドアの遊びにでも行くのか」と勝手に解釈した。
珈琲好きな両親に俺の珈琲の効果はてき面だった。これ以上の資金援助はできないが、もう暫く待ってもいいと言ってくれた。
実家へ行った翌日のことだった。開店間際に雰囲気の異なる2人の男が入ってきた。男たちは店内を見まわしてから、黒い手帳のようなものを取り出した。警察手帳だった。
2人の警察官は、俺が水曜日朝6時に店に寄っていることを知っていた。防犯カメラで確認後に聞き込みに来ていたのだ。俺は両親の家に行くために寄ったと事情を説明した。
「何があったのですか?」
この先の宝石店で、昨日宝石が盗まれたのだと刑事が説明した。俺は動揺した。もしかして疑われているのか? しかしその不安はすぐに取り払われた。俺が店に寄り10分ほどで出てきたことは防犯カメラで確認後に聞き込みに来ていたからだ。
「昨日の6時ごろあの窓に誰か通りませんでしたか?」
刑事の1人が言った。すぐ彼女の脚が思い浮かんだ。ちょうど朝の6時過ぎ、俺が店に入って2~3分後のことだった。スカート姿ではなかったが、あれは確かに彼女だったと今でも思っている。
「いいえ見ませんでした」