芝浜さんは、そうかいそうかいうれしいこといってくれるねって、落語家さんみたいな口調で調理場に立った。キンメダイの赤いからだがちらちらと見えた。割烹着の背中がすこし曲がって見えたけど、わたしにとってはゆめみたいな時間だった。時間がとてつもない速度で遠ざかって行ってるような。
「今日はさ、いろいろと懐かしい面々がちょっとだけくると思うから楽しみにしてな」
「奥さんは?」
「あいつ? あぁちょっと買い物に行ってくるってさ」
「そうなんだ」
わたしの次にやってきたのは、ギタリストのジョージさんだった。学校の先生をしながらバイトでギターの弾き語りをしていて、時折ここで弾いていた。
「ティアちゃん?」
「ジョージさん?」
「大将」
「ジョージじゃないか」
言葉もなく名前を呼びあって、その声があたりの空気を震わせる。
「ジョージはホッピー、ストレートだったな」
「もうなつかしいよ。この形」
「きみたちはさ、さっきから、聞いてると懐かしい懐かしいって。今そんなこと言ってたらこれからエライ目に合うよ。いまのうちに言っとく」
って芝浜さんはふたりの顔をみながら、なにか企んでいる瞳で笑った。
「だって、あれだよ。ホッピーっていえばこのととちゃんでしか飲めないっていうか飲みたくないっていうか、ティアちゃんもそうだろう?」
わたしはジョージさんがホッピーを壜のままストレート飲みしている喉ほとけが錨みたいに上下するのをみながら、頷いた。
「ほらほら。そういううれしいことはもっと早くいってほしかったね。店閉めるずっと前にとかさ」
包丁を動かして魚のお腹をだしたりしながら芝浜さんが背を向けたままつっこむ。
すでにほろ酔いかげんのジョージさんがさらに、ホッピーをぐいっと飲むと、映画「バグダッド・カフェ」の「コーリングユー」のメロディを揺れるように奏ではじめる。とほうもなくせつなくて。
ものがそこにあることもひとがそこにいることもきっとそれはなにかを失いなにかを残してきた現在のかたちなのかもしれないと、思っていたら。
また引き戸が開いた。
開いたら最後、どどどっと人が入って来た。誰なんだろうって顔を上げるとそこにいたのは、金沢さんだった。
「芝浜さん。もうどうしてたのよ、逢いたかったよ」
「どうしてたのよじゃないよ、おめえはちょっくら逢えるところにいないだろう。さっさとあっちに行っちゃってさ」
芝浜さんは店の天上のあたりを指さす。
事情を知っているわたしはジョージさんと顔を見合して、息を呑む。
「で、みんな連れてきたのよ、まとめてね」