『 辞令 ○○年7月29日
早崎 聡 様
金属資源本部 鉄鋼第二部員 を命ずる 人事部』
紙質はこれまで触ったことがない程の分厚い上質紙。降格の辞令に、わざわざこんな上質紙を使うなんてイヤミ以外の何物でもない。他にお金をかけるべきところはいくらでもありそうなものである。窓のない四畳半ぐらいの会議室で、能面のような人事部長から「桐友物産の名誉を傷つけた」と言われた時の屈辱は今も忘れがたい。しかし一方で、この紙をもらった時、会社を辞めなくてよくなったとも思った。給料はどれぐらい下がるのだろうか。それでも家のローンを返しながら、なんとか生活はできるだろう。妻の恵子は事件以来、つとめて明るく振る舞ってはいたが、内緒でパートの仕事を探していることを早崎は気付いていた。来年大学受験する高3の息子の学費を案じているに違いない。これで恵子も少しは安心するのだろう。
次に思ったことは、まったく経験のない経理部や総務部に行かなくてよかったことだ。外部の人間から遮断された内勤の部員にされることは十分に考えられた。堅苦しい仕事は向いていないと思われたのか、それとも鉄鋼グループのほうで自分の引き取り手が現れたのかは分からない。鉄鋼第二部で仕事をした経験はないが、だいたいの見当はつく。国内外の取引先へ会いに行き商談や会食をする仕事は、早崎の性に合っている。
しかしである。五十に近い自分がどの面下げて「今日からよろしく」と挨拶したらいいものか。しかも留置所あがりの社員なのだ。早崎は、一度不登校になった子どもが学校に行きたくない理由がわかった気がした。
「鉄鋼二部の業務課長はたしか黒田だったな。おれが来たら、あいつもやりにくいだろうな」
業務課長とは課長職ではあるが、部内のすべての情報を吸い上げ部長、幹部へ報告するという多忙な役職である。そこの課長の黒田は早崎の5年下で、彼が新入社員のころに、早崎が先輩として商社のイロハを教えた関係であり、その頃は毎週のように新宿や神田で黒田と飲み歩いた仲だ。
「お替わりちょうだい、焼酎のナカ」、「はいよっ」
商社マンとしての早崎の専門分野は、銅と錫(すず)である。ゴールデンウイークが明けたころ早崎だけでなく桐友物産全社に衝撃が走った。公正取引委員会が、桐友物産、専門商社の五洋商事、非鉄大手の京浜金属鉱業の3社を不当な取引制限として摘発したのだ。チリの銅公社から輸入した銅鉱石の価格カルテル幇助の疑いである。桐友物産側の談合の主謀者とみなされたのが当時、非鉄第一部・部長代理の早崎だった。
事件発覚後、早崎の上司の上原部長は体調不良ですぐに入院、公正取引委員会による桐友物産の聴取は5回あり、早崎と部下の書記係ですべて応対した。そして5回目の聴取後に、早崎は問答無用で留置所に送り込まれた。警視庁麹町署だった。同じ時期に京浜金属鉱業のチリ支店長も新宿署に拘束されていたという。
結局8日間の拘留で、早崎は証拠不十分で釈放された。公正取引委員会としては「見せしめ」の意味もあったと思われる。これ以上やったらタダでは済まないぞという業界への見せしめである。桐友物産としてはけじめをつける意味もあり、すぐに早崎の30日間の謹慎処分が決まった。今日は早崎の謹慎明けの初出社日で、同時に新しい配属(配属先があればの前提であるが)が決まる日でもあったのだ。
眼の前のジョッキは夏の陽射しを受けて、水滴のヴェールに包まれきらきらと光っていた。意味もなくマドラーでカラカラとジョッキをかきまぜてみる。
いったい今回の事件は誰が悪かったのか?
裏交渉にあたり、桐友物産金属部門を統括する役員の大鹿常務とも早崎は綿密に連絡をとっており、早崎だけが暴走したわけではない。危ない橋を渡っていることも気付いていた。早崎は万一の時のために、この極秘プロジェクトについて社内のやりとりを詳細なメモに残した。懲戒解雇に及ばなかったのは、このメモのお蔭かもしれなかった。