和真は時計を改めて確認した。「はっ!? もうすぐじゃん!」もう三十分を切っている。
『お願いお願い、おねが~い』
「ったくよ。分かったよ、しゃーないな」
『サンキューカズー!』
通話を終え、スマートフォンをブレザーのポケットにしまった。椅子にもたれている紺色のマフラーを首にまいて部屋を出た。一階に続く細長い階段を降りていく。階下に近づくにつれ、店内からこぼれる光と笑い声が大きくなっていく。
「おう和真、どっか行くのか?」
小さなカウンターに立つ父親の源一郎が声をかけてきた。
「莉奈がバイトを代わってくれっていうから、急遽行くはめになったんだよ」
「そうか、気をつけていってこいよ」
「ほーい」
「たまには店の手伝いもしろよ」
「ほーい」
和真は気の抜けた返事をした。店の手伝いなど、毛虫を素手でにぎるよりも嫌なことだ。
店内の様子を眺めると、案の定、常連の山岡達が酒を呷(あお)っていた。三人とも、同じ下町に住んでいる六十歳近くの仲良しオジさんトリオだ。
テーブルには茶色の瓶が背筋よく立っていた。黄色のラベルには「ホッピー」の文字が太陽のように赤く光っている。オジさんトリオはジョッキを持って、白い歯を輝かせている。
「よっ、和真くん。こんばんは」
すっかり出来上がった山岡が和真に話しかけた。ダルマのような顔がにんまりしている。
「こんばんは」和真は頭を下げた。
「お出かけかい?」「まあ、そんなところです」
「そっかそっか、いってらっしゃい」山岡は軽く手をあげた。
常連客とはほとんど顔見知りで、中には山岡のように声をかけてくるものもいる。
他のテーブルでも、立ち呑みとおしゃべりに花を咲かす客が何人かいた。広くはない店内は、数人の客の声で満たされていた。
店を出る間際、和真は父親に目をやった。まただ、と和真は思った。また、ポロシャツの胸ポケットをとんとんと叩いている。癖なのだろうか? 和真は源一郎の無意識の仕草を、以前から気にしていた。しかし、それをわざわざ訊ねることはなかった。