小説

『文六と夢地蔵』甘利わたる(『みそ買い橋』)

 江戸に着いた文六は 粗末な身なりで あたふたとしながら 町中を歩き 時々
「ボヤボヤするな! どこ見て歩いていやがるんでぃ!」
 と 町民に怒鳴られながらも 汗をかきかき 頭をぺこぺこ。そうしてやっとの事で日本橋を見つけたそうな。
「さぁて、ここで四日間かぁ」
 文六は背負いかごを下ろし 橋に立つと 大きな声をだして とうきび売りを 始めた。
「ええ、とうきび!とうきびは如何ですじゃ。信州産のとうきびですじゃ」
 最初のうちは 売れなかったが 大旦那風の客が ものめずらし気に立ち止まり ぽんと一本売れたかと思うと たちまち飛ぶように 次から次へと売れ始め なんと到着したその日に 売り切れてしもうた。
「売れたのはええけんど、どうすべえ?夢ん中じゃぁ四日間、立っておれと言っていたが・・・・・・」
 文六は とにかく最後まで信じようと のこりの三日間は 何する事もなく ただただポカンと 空のかごを背負って立っておった。三日目は雨にもあったが それでも立ち続けた。
 いよいよ四日目じゃ。
 ところがこの日も 橋の上は 右から左 左から右へと きびきびと流れていく人波ばかりで 何ら特別な事は 起こらんかった。
 さても陽は傾き 江戸の町でも カラスがカァカァと鳴き始めた。
「こりゃあ夢の中でまで、きつねにばかされてしもうたかの?」
 文六が 途方に暮れて 夕空を見上げていた時じゃった。
「もしもし、あんさん」
 呼びかけられた文六が 声の主を見てみると 立派な羽織を着た男が 目の前に立っておる。よく見ると いちばん最初に とうきびを買ってくれたお客じゃった。
「はぁ、あっしですかい?」
「うん。あんさん、とうきびを売りつくしたあとも、ずっとこの橋の上に立っていたね。いや、私は、この橋のたもとで呉服屋を営んでいる者なんだけどね」
「あぁ、そこの呉服屋の旦那さんでしたか?じゃあ、店先からあっしの事をずっと見ておいでで?」
「うん。しかしまた、どうしたわけでずっと?」
 文六は ぽっと顔を赤くしながら これこれしかじかと 夢の事を話したそうな。
「はっはっは。それでお告げどおり、江戸へ出てきたというのかい? それで何かいい事はあったかね?」
「うんにゃ、それがいっこうに・・・・・・」

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