小説

『(有)桃太郎出版社』吉田大介(『桃太郎』)

 九州は筑前、福岡市中央区渡辺通り、道路拡張工事で立ち退きが予定されているラーメン屋の裏手、薄汚い全面昭和造りの茶色い三階建て雑居ビルに、桃田が社長を務めるチンケなその出版社はあり、従業員を二人かかえて全くの赤字。桃田の会社が入っているビルは立ち退きに引っ掛からず、捲土重来の可能性はほぼゼロであった。
「ウチらはな、博多の街で偉そうにふんぞり返っとる奴らの悪事をひっつかんで、バーンと誌面で暴いて飯を食っとるんやないか。チャラチャラしたそこらのタウン情報誌と違うねん、犬山くん」
 桃田の関西弁の檄がとんだ。オールバックにティアドロップ眼鏡、八十年代風顔つきの桃田は大阪生まれの大阪育ち、大阪の出版社に勤めていたが、四十で福岡支局長として赴任、就任翌年にセクハラ事件を起こし追い込まれ、自主退職した人間。妻が九州だったためそのまま福岡に残り、今さら他業種への転職もならず、一念発起、起業して今に至る。
 叱咤を受けた犬山は元は東京の男で、痩せて色白、二十八。ギター一本で食っていくのを夢見て、フォークが盛んだった昔の福岡に憧れ、わざわざこっちの大学に進学したのが始まり。バンドやライブハウスでのバイトに明け暮れ、まっとうな就職が叶わず、三年前に桃田の会社に拾われた。今でも月イチくらいで中洲の橋の真ん中でアコギを抱え、吠えている。
 そしてここからが作り話のような出来過ぎた状況なのだが、会社のもう一人の社員の名は猿橋。桃、犬、猿で「桃太郎」の面子が、苗字だけだが揃っており、馴染みの取材先ではよく「桃太郎出版が来よんしゃったよ」と先方が受付の裏で小声で連絡をつなぐのが聞こえる。
 時々来てもらうバイトの田中が、犬山の中途入社後に苗字について指摘し口にしたのが「桃太郎」の始まりで、採用時に当然気付いていたが黙っていた桃田と猿橋は、はっきりと口に出されて初めて、何とも言えぬ恥ずかしさとやるせなさを感じたものだった。
「今年は創立十周年。今踏ん張らんとウチの会社も正直どうなるかわからんで」
「社長、創業時からお伴して参りました私も今年で三十五。中堅どころとして、購読者を熊本、鹿児島まで拡げるべく営業に邁進します」
 唯一、地元福岡出身の猿橋が新年、仕事初めの朝礼で熱く抱負を述べると、
「いや、九州はもうあかん。購読者は頭打ちや。今年は広島に攻める。広島は今、ライバル誌が弱っとるんで、チャンスなんや」

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