小説

『風が吹くとなぜ桶屋が儲かるのか?』あまりけんすけ(浮世草子『世間学者気質』)

 そう、この庄三も少なからず小百合に気があったのだ。幼友達の伊助の彼女ということで当時はしぶしぶ遠慮していたのだが、当の伊助ももう女房をもらったのだし、今更遠慮でもない。このところの忙しさから開放されて、少しばかり気持ちに余裕が出た。今更何が出来るものでもないし何をするつもりも無いが、様子だけは知っておきたかった。

 隣町に出かけた庄三は小百合の勤めているはずの伊助に聞いたお店を訪ね、お目当ての小百合を指名した。小百合は昔から美人顔でスタイルも良かったし、ここでもなかなかの人気らしく先客がいた。何でもこのところの大風でしこたま儲けた三味線屋とのこと。風が吹けば桶屋が儲かるのもそりゃあ嘘ではないにしても、桶屋の前に三味線屋が随分と儲けていたらしくすこぶる羽振りがいい。もともと花柳界とは商売柄の付き合いもあるのだろうし、根っからの遊び人に違いなかった。  
 小百合とは久しぶりの再会だったが、子供の頃からの知り合いでもあり懐かしさはひとしおであった。小百合の方も幼馴染との再会は嬉しかったらしく子供のように喜んでくれた。昔話に花が咲いてすぐに意気投合。結局看板まで飲んで、よせばいいのに小百合のアパートにまで寄り込んで、家に帰ったのは御前様もいいところ。さすがの元気者の庄三も疲れ切って、ずっと寝ずに待っていたお美代の尋常でない風にも気付かずに、不覚にもそのまま布団に入って眠り込んだ。

 庄三の女房お美代は伊助の女房ほどではないが見かけのおっとりした感じとは裏腹に亭主の様子には敏感で、出かけたときの何かよそよそしい感じから、遊技場などではなくきっと女遊びに違いないと、庄三が帰る前から気持ちを硬くしていたのだった。疲れきって眠り込んだ庄三の胸元をはだけると案の定、首筋や胸元には愛の名残のキスマークが見つかり、次の日は朝一番から大変な騒ぎ。お美代はここを先途と切れまくるし、犬も食わない大喧嘩。可愛さ余って憎さ百倍かどうかは分からないが、モノは投げるは噛み付くはで庄三は散々の体。終いには上がりかまちから転げ落ちて足首を捻挫するし、中でも腕の噛み傷は相当なもの。この大騒ぎに気が付いた向かいの伊助が助けに入って、ようやくのことに火の出るような夫婦喧嘩も下火になった。
 噛み付かれ転げ落ちて捻挫までした庄三は、伊助に担がれて近所の医者に運び込まれて命拾い。お美代に噛まれた腕の治療費は高くついたし、正に踏んだりけったりの泣きっ面に蜂。医者からの帰り道、伊助の肩を借りながら考えた。『結局、儲かるのは桶屋というのは間違いで、そのあとの話からすれば最後に儲かるのは医者ということになるのか・・』   
 棺桶屋で話が終わるわけは無いとは思ったが、猫の手も借りたいくらいに忙しく働いて、あげくに女房に噛み付かれて転げ落ちて捻挫して、高い医者代を負担して・・、なのに片方では三味線屋などが相当に儲けて毎日のように面白可笑しくやっている。 

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