小説

『桜花舞い踊る卯月、僕ラハ涅槃ニテ酩酊ス』灰色さん(『桜の樹の下には』梶井基次郎)

ツギクルバナー

 白昼の月曜日、こわれた君と全てを失った僕が、こうして花見に二人で出掛けるのは何時以来だろうか。かつて君がまだ幼く無邪気で、純粋さに溢れていたことすら、酒瓶の底に残る一滴のように、微かなモノとなってしまっている程に昔のことだったような。それとも、透明で光に満ち溢れていた頃の僕の記憶は、君とずっといたことすら健康的に忘れているのか。いや、嫌、否、ええと切符は買ってあるし、仕事も辞めたし、埋めたし、食べたし、祈ったし、死んだし、書いた詩…… 
――そんな纏まらない思考が、水族館の海月のように浮遊し始めるのを感じながら、窓の外で刹那に過ぎ去る風景をぼんやりと眺める。
 真っ赤に錆びた有刺鉄線と廃工場、つい数日前に建てられたかのような煌びやかなビルの群れ、歓声と共にベンチから飛び出すユニフォーム姿の少年達、校舎から飛び降りようとする制服の男女……見えてはいけないもの、見えてしまったもの、網膜の中で捉えた映像が混濁して歪み始めた頃、姿の見えない車掌は、無機質な声で目的地にまもなく着く旨をアナウンスした。
 悲鳴のような警笛と急停車、グラリぐらり、ユラリゆらりと揺れる車内。プラスチック容器に詰めた揚げ物の衣や牛煮込みの汁が少しばかりこぼれる。ボロリポトリ、獣肉と油の匂いがフワリと薫る車内、老若男女が僕らの方を飢餓感に満ちた目で見ていないようで、見ている。
 涎を垂らす汚れた野良犬のように、水色の着物がはだけた夏の少女の様に、赤いスカートが乱れる春のショウジョノヨウニ。それとも、土曜日の晴れやかな午後に、隠せない禿げ頭と、スポーツ新聞の淫らなヌードが一面にデデデデンと載った方を、隠すことなく堂々と対面する紳士淑女の皆々様に晒す、にやけた顔の「大人」のように。
そして、食べ物と共に、透明な袋が今にも破けんばかりに詰め込まれたビール、Whisky,杏露酒の綺麗な瓶に、電車に座る人々と左隣の君は、口が裂けんばかりの歪んだ笑顔を浮かべていた。
 笑顔の君と少しばかり憂鬱な面持ちの僕は、車内からの不気味な視線を浴びつつホームに降り立った。
水色のペンキで塗りつぶしたかの如き蒼、そして春の海のように穏やかな青空。その蒼の中をゆったりと泳ぐ裸の太陽が、世界の終わりを告げんばかりに眩い白昼。一升瓶を両手に持つ、酔っ払いの老爺の狂言にやんや、やんやの拍手喝采に満ちた××××駅。
 桃色の風船が飛んでは舞い散るロータリー、湿った洗濯物が花びらのように散らばる住宅街を抜け、憂鬱にうな垂れた木々がトンネルのように囲む沿道を二人、無言でそして微妙な距離をとって歩いてゆく。
 時折擦れ違う黒猫や野良犬以外には誰一人おらず、何処までも続くかのような焦げ茶色の道。路傍に転がる、真新しいスニーカー、ベビーカー、スポーツカー。置き捨てられた、無惨に折れた蝙蝠傘、針の狂った柱時計、朽ち果てた三輪車が過去と現在とを混同させる。そして、思い出したかのように響くウグイスの啼く声やケラの鳴声が、何処か不穏な空気を助長する。

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