小説

『後日譚』遠藤大輔(『山月記』)

 その喫茶店は新宿にあった。花園神社を越えて、ゴールデン街も越えた先にあった。
 店内にはいつもクラシックが流れていて、初老のマスターがただ静かにコーヒーを淹れている。雑誌の純喫茶特集で何度か紹介されたこともあったが常連客は増えることがなく、いつもの見慣れた顔だけが座るお店だった。
窓際の席に見慣れぬ男と女が座っていた。その表現が正しいかは分からないが、男女が座っていた。

「今から話すことは、決して私のお節介とかそういうのじゃないんだ。話すべきだと思ったから話すんだ」

 もったいつけている割には早く話したくて仕方がない、という様子が男からは窺えたが、女は興味がないのかまるで他人事のように聞いていた。

「あんたの旦那に会ったんだ。本当に偶然に会ったんだ」

 女は表情を変えない。

「先週末にある場所に呼ばれて講演会をしてきたんだ。『現在の報道とSNSの在り方』みたいなつまらない話さ。せっかく遠くまで来たんだから一泊して、翌日観光でもしてゆっくり帰ろうと思ったんだ。けど思った以上に田舎で、夜に開いてる店なんか全然なくてね。しばらく歩きまわってようやく開いてる食堂を見つけたんだ」

 女はただ静かに聞いている。

「せっかく海沿いの町に来たからと魚を注文したら、今日は入荷がないっていうんだ。そんな馬鹿なはずはない、ここ数日天気も荒れていないし、ないってことはないだろう。けどね、聞いてみるとこの地方の風習で、この1週間は漁をしないことになってるんだと。仕方なく煮物や野菜を頼んで食べていると、一人の男が店に入ってきたんだ」

 男は女の様子を窺うが変化は見られない。

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