小説

『三つ巴』秋山こまき(『こころ』夏目漱石)

 午後十時、玄関チャイムが鳴った。
 ドアを開けると秋子さんが立っていた。彼女は、僕の高校時代からの親友、須川直樹の恋人だ。一時間前、彼女から電話をもらった。
「彼が行き先も告げずに旅に出てしまったの」
 そうして話している内に、その須川と最後に会ったのはこの僕ということが分かった。それで直接会って話を聞きたいと、彼女はそく僕のマンションまでやって来たというわけだ。
 親友の恋人と部屋で二人切りになるなんて僕にはできない。ましてや夜だ。でも、もういいのだ。垣根は消えたのも同然だ。切り札は僕が握っている。
 秋子さんを部屋に通し、ソファーにかけてもらった。コーヒーを差し出すと、
「どうもすみません」
 澄み切った声が小さくひびく。顔も声も奇麗な人だ。けれどそれ以上に彼女は暗く不安な表情をしていた。
「あの人、どこへ行くか、何も言ってなかったですか?」
「あなたに電話をもらうまで、僕は須川が旅に出たことさえ知りませんでした」
「三日前、ここへ来たのが最後で、それからの足取りはつかめないんです。ケータイに、旅に出る。僕を忘れて欲しい、というメールが入っただけで、こちらから掛けても出ないんです。何か変わった様子はありませんでしたか?」
 あの夜の須川の姿がありありと目に浮かんだ。
「ちょうどそこに……」
と彼女が座っているソファーを指さした。
「そこに須川が座っていました。僕たちはこのようにテーブルを挟んで二人でいろんな話をしました。高校時代、海へキャンプに行ったことや、山間の露天風呂に入ったことなど他愛のない昔話です」
「私のことは?」
「いえ、何も。話が終わると須川は立ち上がり、自分を見つめ直すよ、と言ってここを出て行きました」
「自分を見つめ直す?」
 彼女はそう聞き返し、首をかしげた。
 

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