小説

『カメはウサギを追いかける』橋本成亮(『ウサギとカメ』)

 今、走ることを止めてしまったら全てが無くなってしまう。走らなければ勝ち負けもつかない、勝てない苦しみが無くなる代わりに、勝てるかもしれないという希望も無くなる。
 ずっと走り続けてきた自分にとって、それは洋に勝てないのと同じくらい辛いことだ。今までに手にしてきた全てが無くなってしまうのも同じだ。
 自分の才能に絶望しながら、それでも俺は走ることをやめられない。

「ウサギとカメってさ、どれくらいの距離で勝負したんだろうな」
 そんな突拍子もない事を言い始めたのは洋だった。
 陸部の練習が終わった後、俺と洋は河原でスポーツドリンクを飲みながら語るのが恒例だ。
 練習の終わった後だし、本当は炭酸ジュースを飲みたいんだけど、うちの部員はそれを自制しあっている。この間も、他の部員が炭酸に手を伸ばしたところを洋に「うわー、意識低っ」とネタ半分に笑われていた。
「なんだよ、急に」
 こいつはたまに、こんな変なことを言いだす。俺はこの一年間洋と一緒にいて慣れてしまったけど、他のやつはたまにフリーズしてしまう。
「いや、ウサギくらい速くてもカメに負けるってことは長距離で勝負したのかな、って」
「休憩しようってくらいだから長距離なんじゃない?」
「でもウサギって長距離走れるのか? 短距離っぽくね?」
 考えたことも無かったけど、言われてみたらそんな気がする。黙って頷くと、洋は言葉を続けた。
「カメってさぁ、賢かったのかもな。長距離だったらウサギが苦手かも、サボるかもって思って勝負をしかけてたんじゃね? カメ、すげぇな」
 そう言って、洋は笑った。何も考えてなさそうな、裏表も屈託も無い笑顔だ。
「作り話だからな」
 返事をして、俺も笑った。
 あれは作り話だから、才能の無いカメでもウサギに勝てた。
 現実世界では、そんなことはあり得ない。
 カメの俺は、ウサギの洋には敵わない。
「リレメン、選ばれろよ」
 お互いに笑いが止まると、洋が急に真面目な話をし始めた。こいつはいつも話に脈絡が無い。
 リレメンの選考タイムトライアル、明日なんだ。この間、タイム走をした時の記録のままでは俺のメンバー入りは厳しい。
「そのつもり……だけど」
「俺、成迫さん、佐脇さんの三人は確実だと思う。でも四人目、お前ならいけるだろ。勝てよ、川野さんには、お前勝てるだろ」
 洋は言わずとしれたうちのエースだけど、成迫さん、佐脇さんも去年のインハイ予選で100メートルと200メートルで、二年生ながらそれぞれ県決勝まで残った実力者だ。うちの部、公立なのに短距離のメンバーも悪くないよな。三年生のその二人と洋は、うちの短距離メンバーの中では頭一つ抜けた実力者だ。
 最後に名前が出てきた川野さんは、俺のライバル、っていうのはおこがましいけど、常に俺の一歩前を走っている。去年のリレメン決めのタイムトライアルでは川野さんが7位で俺が8位。この間のタイム走も川野さんは4位だった。
 明日は俺が川野さんに勝てるかどうかっていうのがリレメンを決めるのにあたって一番の問題だと思う。

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