私は画面のなかで動く叔父の姿を新鮮に思いながら、どこか懐かしい気持ちで眺めていた。しかし、テーブルに置かれた瓶のラベルを目にしたときには言葉を失くし、居酒屋のシーンが終わって次の夜景のシーンに切り替わるまでその瓶から視線を離すことができなかった。私はそのシーンが終わるとリモコンを手に取り、何度も巻き戻して画面に目を凝らした。テーブルの上に置かれていたのはまぎれもなくホッピーの瓶に違いなかった。映画のなかの叔父はいつもの慣れた手つきでホッピーを作り、愛おしそうな顔でそれを飲み干した。それは以前何度も目にしていた仕草だった。ほとんど大根役者と言っても差し障りのなかった叔父のなかでひどく自然な演技に見えた。
その些細な偶然はあくまで演出家の指示に過ぎなかった。それでも私のこれまでの後悔を拭いさるには充分な出来事だった。私は手元にあったグラスにホッピーと焼酎を注いで、叔父の仕草を真似するように天井に向かって大きく上げた。そしてタイミングを合わせて画面のなかの叔父と乾杯した。ようやく過去の約束が果たせたような幸福な錯覚が私を包んだ。
あれから十年が経ち、大学を卒業した私は地元の企業に就職し、いわゆる社会人としての生活を送っている。三年前に結婚した妻との間には子どもが二人いて、仕事と子育てに追われる忙しない日々を過ごしている。あの日観たDVDはいまも私の手元にあり、妻や子どもが寝静まった夜などにはその映像を流しながらホッピーを作るのが日課になっていた。映画の内容は相変わらずつまらないものだったが、叔父が映る時間になるとよく冷えたグラスを持ち、となりに座る男性に自分の姿を重ねながら乾杯した。映像のなかの叔父はホッピーを半分ほど飲み干したあと、いつものあの愛おしそうな顔で笑うのだった。