「でしょ?あんな最後、あり得ないよ。でも一番ショックだったのは、彼の変化に、全然気づかなかったことなの。六年も付き合っていたのにね」
「六年も付き合っていたからだろ」
「そうかな」
「そうだ」
それから十蔵は、持っていたコーヒースプーンをホッピーに向けた。
「なあ、どうしてこいつと来たんだ」
すると美和は、もぞもぞとお尻を動かした。
「あのね、思い出なんだ」
「どんな?」
「ホッピーはね、お酒の弱い私のために、彼が探してくれたものなの。『これなら一緒に飲めるだろ』と言ってね。おいしいし瓶もかわいいから、すぐ大好きになったわ。それからホッピーは、わたしたち『二人のお酒』になったの」
「そうか」
「海とかフェスとか、いろいろな場所へ持って行ったわ。大晦日に雪道を歩きながら飲んだりもした。それからケンカの後ね!『ホッピーを飲まない?』と言うのが、仲直りの合図だったのよ。とにかくホッピーには、私たちの楽しい思い出がたくさん詰まっているの。でも彼、自分のものは根こそぎ運び出したくせに、ホッピーは全部置いて行っちゃった」
「なるほど。あんたは残されたホッピーを飲みきって忘れようとした。だが、最後の一本だけはどうしても開けることができなかった。そしてとうとう、旅にまで連れてきたわけだ」
「え、すっごい。どうしてわかるの?」
美和が目を丸くしたので、十蔵は重々しくうなずいてみせた。
「年の功だ。で、いつ別れたんだ。先月あたりか?」
「三年前」
「その間、ずっとホッピーと泣き暮らしていたのか!」
「だって最初の一本を開けるのに、二年以上かかったんだもの・・・」
美和はそう言って突然ホッピーを胸に抱いた。への字になった口が小さく震えている。十蔵はしばらく天井をにらんだ後、静かに丘の下を指差した。
「なあ、あの宮殿を建てたマリア・テレジアって女王様はな、旦那が亡くなった後、ずっと喪服で過ごしたんだ。十五年もだぞ」
「・・・だから何?結婚生活が幸せだったって話?」
「違う。そのぐらい惚れた男に出会えたって話だ。あんたと同じようにな」
「だけど、別れたら意味ないじゃん。しかも忘れられないなんて、最悪だよ。吹っ切りたくて、普段しないことを山ほどしているのに、なんで外国に来てまで、彼の話をしているの?本当にバカみたい!」
美和はそう言って、テーブルに突っ伏した。机がゆれてティーカップがガチャリと音を立てる。十蔵はそんな美和の頭をポンポンと叩いた。
「まあ、そう焦るな。無理して忘れることはないよ」
「嫌よ!そうしたら、ずっとこのままじゃん」
「それが『木を見て森を見ず』って状態なんだ。そんな風になるなとさっき教えたろ。あんたがホッピーをここまで連れてきたのは、そいつと過ごした時間が素晴らしかった証拠だ。そりゃとても幸福なことなんだぞ」
「だけど辛い」