眼の前に座ったドレスアップした彼女に、どうにも居心地の悪いものを感じてしまう。付き合いで連れてこられたキャバクラで、彼女が席についた時、俺はうっかり、グラスを手から滑り落としそうになった。
そんな俺に彼女は不思議そうな顔をしたが、思い当たる節はなかったらしく、あの時より少し甘い声で「はじめまして」と言った。
知らないふりをしよう。
サービスタイムの3時間、それで逃げ切れば、彼女の記憶に蘇ることもなく、一緒に来たクライアントも満足し、全部解決するはずだ。
そんな考えは、彼女が作ってくれたウーロンハイを一口飲んで、打ち砕かれた。……かなりの薄め。
彼女はわざと知らないふりをしているのだ。
主導権は彼女にあった。同じく初対面の「ふり」。
薄めのウーロンハイが「本当は知っている」と主張している。
妙に落ち着かないのは、クライアントの前でふたりの関係を隠している罪悪感だろうか。眼の前の白いドレスの隙間からのぞく彼女の胸の谷間も一役買ってはいると思う。
彼女の笑い声もクライアントのごきげんな声も、意味を為さずに、耳を通り抜けた。
たまらずに、クライアントが席を立ったタイミングで、彼女に真意を問いただした。
「別に? プライベートでたまたますれ違った人とイチイチ知り合いですよねって話さないでしょ?」
「そうですよね。あらためて、ありがとうございました。あれ、おいしかったです」
「飲めないなら、断ればいいのに」
「……なかなかそういうわけにはいかないです」
「お酒はおいしく飲む方がいいけどね」
近くの席でシャンパンタワーが立てられて、コールが始まっている。注がれていくお酒を見て、彼女は小声で「ああいうの、おいしいお酒がもったいない」と耳打ちした。
「お酒好きだから、バーテンダーになりたいんですか」
ちょっと驚いた顔をした彼女がすぐに冷静な顔に戻る。
「あの店で聞いたの?」
「はい」
「まったく、おしゃべりなんだから」
悪態はついても、彼女は心底嫌がっているようには見えなかった。それが少し彼女の素の部分に触れた気がした。
クライアントがお手洗いから戻ってくる。
にぎやかなシャンパンタワーが始まっているのを見ると、彼女に「今度ここで入れてあげるよ」と誘った。彼女はとびきりの営業スマイルをクライアントに向けて、ありがとうと首筋に抱きついた。
* * *
寝返りを打つ。寒くなってきた朝に、布団の誘惑は代えがたい。冬ごもりのように丸くなろうとして布団を引っ張ると、引っ張り返されてまぶたを持ち上げる。