受賞作品:
『鬼の勇気』比良慎一(『桃太郎』)
受賞理由:
おかげさまでブックショートはプロジェクト立ち上げから今年で10周年を迎えました。2014年に「二次創作」をテーマに短編小説を公募する第1回ブックショートアワードからはじまった本プロジェクトでは、さまざまな企業、自治体とコラボレーションした企画やショートフィルムの製作、さらに出版も手がけるなど、短編小説を軸にたくさんの取り組みを行っています。
今回の第10回ブックショートアワードには750作品を超える応募がありました。そのなかから大賞に選ばれたのは、まさに誰もが知る昔話『桃太郎』をモチーフにした『鬼の勇気』(比良慎一著)でした。
猛暑の中、テーマパークの野外ステージで上演されている「桃太郎」。
主人公の矢吹が演じるのは、主役ではなく鬼の親玉です。舞台上で正義の味方と対峙した矢吹の頭の中には、四年前から持ち続けている一つの疑問が浮かびます。
<鬼が悪さをした証拠はあるのか>
鬼は実は悪者ではなかった……というアイデア自体は『桃太郎』の二次創作では珍しいものではありません。しかし、矢吹がこんな疑いを抱いたのは個人的な理由があったからでした。彼は、天才子役として日本中を席巻したという輝かしい過去を持っています。けれども、年齢を重ねるごとに役者としての存在感を失っていき、四年前のある出来事がきっかけで世間から大きなバッシングを受けることになってしまったのです。
<自分が正義だと信じて疑わない人間が、不祥事を起こした人間に群がり、一斉に刃を向けてくる。連中には、事実かどうかの境界線など必要ないらしかった>
自身には非がないにもかかわらず、妻と子供と離れ離れになり仕事も失ってしまった矢吹はその後、野外ステージのショーで鬼役を演じることでなんとか糊口をしのいでいます。スポットライトが当たる役には当面ありつけそうにありません。
その日2回目の『桃太郎』の公演には娘の優奈が観劇にやってくる約束です。本番前、半年ぶりに会って父娘二人での食事。どこか悩んでいるようにも見える九歳の娘は、矢吹を気にかけながらこう問いかけます。
<新しいお父さんにもお父さんって言えたら、お母さんも赤ちゃんも幸せになれるかな>
自分の幸せよりも他人の幸せを優先する娘を目の当たりにした父は、彼女のために何ができるかを必死に考えます。そして、ステージに立った鬼の親玉は思い切った行動に出るのです。そのとき矢吹が発した言葉はきっと、客席から父を見守る娘の心を優しく包み込んだことでしょう。とともに、その勇気は、私たちの世界で繰り返される「正義」と「正義」のぶつかり合いーーその果てしない歴史の終わりを照らす一筋の光となるかもしれません。
<受賞者プロフィール>
比良慎一
美容専門学校を卒業後、ふらふらと鳥のように自由に生き、現在は会社員として仕事に心血を注いでいる。 今後は執筆9割、会社1割にして過ごしていきたいと思う今日この頃……
<受賞者コメント>
この度、第10回ブックショートアワードの大賞に選んでいただきました比良慎一です。選考に関わってくださった方々に心から感謝申し上げます。 「鬼の勇気」という本作品ですが、テーマは『平和』です。ちょうど執筆を始めようとしたときにアフリカで戦争が始まりました。連日のニュースで心を痛め、平和を祈った作品を書きたいと考えました。正義と悪の境界線は非常に曖昧で、捉え方によっては双方が悪にも、正義にもなり得てしまいます。正義とはいったいなにか、悪とはいったいなにかを考え、悩みながら書いた作品がこのような評価をいただけてとても嬉しいです。
この栄誉ある賞をいただけたことを励みに、今後も精進していきたいと思います。