ブックショートのコラボレーション企画第五弾として、7月1日(日)から「HOPPY HAPPY AWARD」の募集を開始します。賞金総額最大70万円に加えて、ショートフィルム化&書籍に収録の可能性もあります。そこで、ホッピービバレッジ株式会社 代表取締役社長 石渡美奈さんに、本アワードに込めた思い、そして「MY HOPPY STORY」という募集テーマについてお話を伺いました。ご応募前にぜひご一読ください!
-最初にホッピービバレッジさんがどのような会社なのか応募者の方にご説明いただけますでしょうか。
ホッピービバレッジは、私の祖父である石渡秀が1905年、10歳のときに赤坂で開業した餅菓子屋を祖としています。彼は、父親の名を冠した「石渡五郎吉商店」という屋号で、陸軍の御用聞き商人として、現在の東京ミッドタウン、当時の歩兵第一連隊の駐屯地に出入りしていたんです。そこで、軍の方から、近々日本にラムネが入ってくるという話を聞いて、1910年、15歳の時に、「秀水舎」という自身の名にちなんだ会社を立ち上げ、ラムネの製造販売を開始したんです。
-たしか、秀さんのお父様の五郎吉さんは、駆け落ちして赤坂に移り住んだんでしたよね。
そうなんです。一目惚れした人をかっさらって(笑)、千葉から赤坂にきたわけですから、熱い人だったんですよね。そのあたりからも、当社の片鱗が見えてくるかもしれません(笑)。それで、私の祖父の秀は、長野県の佐久に工場を作ったんですけど、冷たい清涼飲料水は、夏は売れるけど、冬は寒いから東京で売れない、ということで、雪国ならば冬でも部屋の中が温かいから売れるのではないか、と考えて長野に……という説だったんですけど、昨年、私の父である会長が突然、「違う気がする」と言い出しまして…。
-どういうことでしょう?
父は、「親父は、ノンアルコールビールをずっとやりたいと思っていて、当時、長野がホップの名産地だったから、そこに工場を作って、雇用も生めば、人脈もできて、当時貴重だったホップが手に入ると戦略的に考えたのではないか」って。たしかに、雪国という案は理解できるんですけど、長野にする理由は何一つなかったんです。それだけが理由なら、群馬だって東北だってよかったはず。それでも、長野を選んだのは、やはりホップが理由としか考えられないんですよね。父からその新説を聞いた時に、私もすごく腑に落ちました。「あ、私でも同じことやるかもしれない」って。そうした経緯があって、終戦直後にホッピーを発売しはじめて現在に至るというのがこの会社です。
-ホッピーは今年で発売70周年、そして、御社は100年以上という非常に長い歴史を持っているんですよね。
実はこの会社は、会長である父のおかげで社歴が5年伸びました。もともと1910年創業ということだったのが、100周年のパーティーを開催した半年後に、全社員勉強会でいきなり、「いや、この会社はやっぱり、餅菓子屋の歴史を外しては語れない。今日から創業を1905年にする」と。そうしたら、お客様のなかに、それに気づいた方がいらっしゃったんです。親しくさせていただいている神戸の酒屋の社長さんに、「あれ、たしか創業1910年でしたよね?」って。それで、かくかくしかじかと説明して、ご納得いただいて。そのとき、ホッピーファンの方ってすごいなって改めて感じました。
-創業年まで覚えてくださっているのはすごいですね。今回、そんな熱烈なファンの多い御社と一緒に「HOPPY HAPPY AWARD」を開催できてとても嬉しいです。
もう20年近く前からこうした企画をやりたいと考えていたんです。私がホッピーに入社してすぐ、1990年代の終わり頃に、とある大手飲料メーカーさんが出版された本を手にしたことがありました。一般の方から募集した商品の想い出を一冊にまとめたものです。ホッピーも同様に、本当にたくさんの方がMY HOPPY STORYをお持ちなんですよね。「ホッピーはハレの日の飲み物だ」と、THE ALFEEの高見沢俊彦さんにおっしゃっていただいたこともありますし、「子供の頃、連れていってもらっていた居酒屋でいつも親父が飲んでいて、ホッピーってなんだろうと思っていた」とおっしゃってくださる方も多いです。あとは、「初めて飲んだ時に、すごく大人になった気がした」というお話もたくさん聞きます。
-たしかにそういう逸話はたくさんありそうですよね。
そうしたなかで、昨年、別所哲也さんとご縁をいただいたときに、ショートフィルムについて教えていただきました。そこで「あ、そうか、文字だけでなく映像も。」と思ったんです。それが今時だし、ホッピーは常に時代を切り開こうとする人をサポートしたり、ホッピー自身も時代を切り開く存在でありたいと考えていますから。ホッピーくんが70年間頑張ってくれたので、そのお祝いも込めて、ぜひ実現しようと。20年来温めていた企画が、今回こういった形で実現できてとても嬉しいです。
-私たちもとても嬉しいです。ちなみに、私個人の「MY HOPPY STORY」は、居酒屋で初めてホッピーを飲んだ時に、中・外の追加注文の仕方がわからなくて、でも、わからないとバレたくないから、先輩の見よう見まねで必死に取り繕ったという思い出があります。
不思議なんですけど、ホッピーって、わりとみなさま初めて飲んだ時の記憶を鮮明に持っていらっしゃることが多いんですよね。誰かに教わったり、伝えてくれる方がいてくださるからかもしれません。私たちも夜な夜な、あちらこちらで飲んでいると、ホッピーのことを語ってくださるお客様の声をたくさん聞くことができて、いつも感激しています。
-ホッピーは、人と人をつなげる存在だとも言えますよね。
そうなんです。たとえば、会社の先輩が、仕事のことを教えたくて、後輩を飲み連れて行くときに、いきなりご高説をはじめてしまうと引かれてしまうことが多いと思うんですけど、ホッピーがあると、自身のホッピーとの出会いを語ってから仕事の話ができて、すごくいい緩和剤になるという声もよくいただきます。
–たしかにそうですね。
あとは、苦い思い出という人も多いですけどね(笑)。学生や若手の社会人が、後輩を飲みに連れていかなければいけないときに、ホッピーは便利なんですって。濃いホッピーを飲ませてしまえば安上がりだから。でも、なぜか飲まされた方もホッピーのファンになってくださることが多いんですね。
-上の世代から若い世代までファンが多いですもんね。そして、未成年の方はもちろんお酒を飲めはしませんけど、「二十歳になったらお父さんと一緒に飲みたい」といったお話もあるかもしれません。
そうなんです。私が家族ぐるみで仲良くさせていただいている方に、水泳の北島康介さんや荻野公介さんのコーチの平井伯昌さんご夫妻がいらっしゃって、お二人にはこの春に小学校一年生になったとても可愛いお嬢さんがいるんですけど、彼女が、「私はね、大きくなったらパパと一緒にホッピーを飲むの!」って言ってくれたそうなんです。連絡をくださった奥様が、やっぱり小さいうちからの教育が大事ですねって。
-いいお話ですね。また、御社内でも広く読んでいただけると嬉しいと思います。
社員たちにとっても大きな刺激になるでしょうね。応募者のみなさまに、私たちの知らないホッピーを教えていただくことになるのではないかと期待しています。あとは、ホッピーも70年間よく頑張ってきてくれたと思うので、この企画にご応募いただくことを通して、みなさまから「おめでとう」と言っていただいて、私たちというより、ホッピーくんそのものが喜んでくれて、また次の100年頑張ってくれたらいいなと願っています。そしてもちろん、みなさまがよりホッピーに愛着を持っていただけたら嬉しいです。
-きっとそうなると信じています。
あと、ホッピーは、おかげさまで日本独自のドリンクだという自負がありますので、ホッピーが生まれてから、今日に至るまでの歴史や物語を紐解くことによって、ある意味では、日本の酒文化や飲食文化をつなぐ一本の糸のようなものが見えてくるのではないかと考えています。それがまた次の社会の発展のための一翼になれたら嬉しいですね。この企画は、ご応募いただいたものをまとめてお終いということではなくて、私たちにとっては実は始まり。ホッピーの次のステップを考えるきっかけになるような気がしています。この企画によって、ホッピーが世界に羽ばたいていけるかもしれませんので、是非、多くの方にご参加いただけたら嬉しいです。
-ありがとうございました。