小説

『おとななまはげ』新田塚 道雄(『なまはげ(秋田民話)』)

「悪いおとなはおらんかぁーー! 悪いおとなはおらんかぁーー!」
 大人たちは全員、自宅にこもって震えていた。今日は大人たちにとって一年で一番恐ろしい日、おとななまはげがやって来る日なのだ。
 ずしん、ずしん、ずしん!
 おとななまはげの巨大な足音が響いてきた。
 どしーん、ぐわぁらぐわら、がっしゃあん!
 どうやら、お隣の梶田さんが襲われたようだ。私は耳を塞いでバスルームの中でブルブル震えているだけだった。ああ、次はきっとこの家にやって来るに違いない。
「おっ父さぁん、何してんの」
バスルームの中を子供たちが笑いながら覗き込む。
「これは、こ、子供には関係無いことなんだ! あ、あっちへ、行っていなさい!」
 バスルームの扉をぴしゃりと締めた。
 耳を塞いでいても、隣の梶田さんの家からおとななまはげの恐ろしい怒号が響いてくる。
「貴様、梶田! 浮気しただろ! 浮気だよ! それにネットオークションで奥さんの若い頃の写真を売っただろ! 全部知っているぞ! おとななまはげには全部お見通しなんだ!」
 梶田さんのひいっという悲鳴が聞こえた。気の毒に梶田さん。毎朝、朗らかに挨拶してくれるいい人だったなぁ。
 私はおとななまはげが来る前に、自分の秘密が幾つくらい暴露されるか指折り数えてみた。何回数えなおしても絶対5個はあった。
 どうしよう。嗚呼、どうしよう。
「もうしません、もうしませんから! 人の道を守って正しく生きます! だから許してくださーい」
「戯言を! もう遅いわ!」
 うぎゃあっという梶田さんの声が聞こえ、梶田さんの奥さんがあなたっあなたっと叫ぶ声が聞こえる。そして静かになった。
 どどど!
 あれはおとななまはげが梶田さんの家から飛び出してきた音だ。
 ずしん、ずしん、ずしん!
 おとななまはげの足音は真直ぐに我が家に向かってきた。
 私は気が狂ったように狭いバスルームの中を暴れまわり、戦うか謝るかの最後の選択に迫られた。考えてみれば謝ったところで命をくれるおとななまはげではない。だとしたら戦うしか選択肢はない。あはは。私は恐怖を通り越して笑い出した。選択、選択。私の会社でのいい加減な仕事と同じではないか。あっはっは。
 ばきゃあーん!
 あれは玄関のドアが吹っ飛ばされた音だ。
 ずん! ずん! ずん!

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