「東京に来てから、初めてこんなにたくさんしゃべったかも」
「またいつでもいらしてくださいね。ほら、できましたよ」
合わせ鏡に映された後ろ髪をじっと見つめて、声を弾ませた。
「わあ、うれしーい」
軽く撫でてみれば、ゆる巻きのパーマがふんわりかかっていて、期待以上に滑らかな手触りだ。
すっきりした気分でにぎやかな通りに出て、中西さんが勧めてくれたカフェでひと休みした。テラス席に座って淹れたてのコーヒーを飲むうち、もやもやしたわだかまりが東京の大空に溶けていく。
(きっとみんなも不安を抱えながら、前を向いて歩いているんだよな)
いつもためらいがちに素通りしていたキラキラした街並みに親近感を覚え、新しいスタートが切れそうな予感に胸を膨らませた。
それ以来、母からの茶封筒は、主任に昇格した入社三年目の秋まで続いた。
小包が届くたびに美容室を予約し、今も中西さんに頼んでカットしてもらっている。同郷で同い年という気安さから、仕事の愚痴や悩みを打ち明けることもしばしばだ。
いつも親身に耳を傾けてくれて、「私もがんばらなくっちゃ」と、気合が入る。
母が繋いでくれた、大切な存在――。
これからも末永くお世話になることだろう。
まもなく東京駅に着く手前で、メールが来た。
「美幸、お心遣いありがとう。美容室に行ってくるよ✂💖」
ハサミとハートの絵文字が並んで、ピカピカ光っている。
(あー、よかった)
ほっと溜息をついて、さっそうと雑踏の中に紛れた。軽やかにポニーテールを揺らして、堂々と迷路のように入り組んだコンコースを歩いていく。
それから三日経った、金曜日の昼下がり。
取引先の訪問を終えたあと、広々とした公園のベンチに腰かけた。
(ほんと、いい天気)
澄み切った青空を見上げながらホットミルクティーを啜っていると、スマホがブルブル震えた。
「もしもし」
茶色い革鞄から取り出して、ビデオ通話をオンにした。すると、母のはしゃいだ声が耳に響いた。
「ほら、見てちょうだい。どうかしら?」
小さな画面から飛び出しそうなほど満面の笑みだ。
「あっ、髪染めたんだ」
「そうなのよー。ついでに、トリートメントもしてもらっちゃったわ」
ノルディック柄のセーターに赤いショールを上品に合わせて、いつになくおめかししている。つややかな栗色の髪に映えて、お似合いだ。
「いいじゃん。いくつになっても、おしゃれを忘れちゃだめだよ。明日の自分のためにねっ」
明るく励ますと、母が機嫌よく言った。
「ありがとう。おでかけする機会が減って、身なりに気を遣わなくなっちゃってたけど、よくないわよね」
「うんうん、そうだよ」
「せっかくきれいにしてもらったから、映画でも観てから帰ろうかと思ってるの。ちょうど気になっていた新作が上映されたところでね……」
すると、まだ話が終わらないうちに、店長の磯部さんが横から映り込んだ。