「あ、あの……カフェかと思ってしまって。失礼しました」
「あら、いいのよ。今日は暑いものね。私、ここの美容師なの。カフェじゃないけどお茶くらいはお出しできるわ。少し休憩していって?」
「ありがとうございます。でも……大丈夫……」
私はそのままうつむいてしまった。見ず知らずの人のご厚意に甘えて迷惑をかけては申し訳ない。いつもならお礼だけ言って立ち 去るところだ。だけど……今日はもう無理。涙がこぼれそうになってきた。
美容師さんは私の近くまで来るとそっと背を押して美容室に招き入れてくれた。
美容室のパーマ液の香りとともにスッと涼しい空気に包まれる。美容師さんは私を待合スペースのソファに案内してくれた。
「お、かわいい子たちだなぁ」
美容室の中には初老の優しそうな男性がフロアの掃き掃除をしていた。
「少し休憩してもらおうと思って」
「どうぞどうぞ。お昼までご予約ないからゆっくりしていくといいよ」
「夫よ。夫も美容師でね、二人でやってる美容室なの」
ひろとはカラフルなキッズスペースが目に入るとパッと目を輝かせた。美容室のご主人はひろとの様子に気付くと「遊ぶ?遊んでいいよ!」と嬉しそうに言った。
「うちの人、小さい子が好きなの。キッズスペースも小さい子と遊べるってワクワクしながら作ったんだけど、ここにお子さんがいるときって私たちは接客中でしょう?だから遊べなくてね、当たり前だけど」
子どもたちに水筒のお茶を飲ませてあげていると、奥さんが冷たいおしぼりとグラスに入れた麦茶を私の前のテーブルに置いてくれた。
「暑かったでしょ、召し上がって」
私はお礼を言うと麦茶をいただいた。おいしい。子ども二人分の水筒は持ち歩くけど、自分の水筒はバッグに入らない。のどが渇いても私は大人だからうちまで我慢できる、と暑い日でも外で飲み物を口にすることはここ最近ほとんどなかった。
涼しい美容室で飲み物を口にして、ひろととゆきとも一息ついた様子だ。ひろとはご主人とキッズスペースで遊んでもらい、ゆきとはうとうとと眠りはじめた。私も気持ちが落ち着いてきて、そしてようやく自分の姿に意識が向いた。
最後に美容室に行ったのは一年くらい前だ。子育てに忙しくて自分のことなんてどんどん後回しになっていた。くせ毛で寝ぐせのついた髪にざっとブラシを掛けるのが精いっぱい、収拾のつかない髪を手近なところにある毛玉だらけのヘアゴムでひとまとめにしてなんとかごまかしただけのボサボサの髪。
ファンデーションと口紅、アイブロウとアイラインだけの最低限の時短メイクも、汗でドロドロにくずれているはずだ。
気まずい……。
独身のころの私にとって美容室は身近にある非日常空間だった。明るくてきれいな店内、たくさんのキラキラした鏡、かわいいスタイリストさんにおしゃれな美容師さん。美容室は一番のお気に入りの服を着て、メイクも気合いを入れて一番自信の持てる私になって行く場所だった。
今の私は間違いなく場違いだ。
「ステキな美容室なのにこんな格好で……すみません」
私は居心地の悪さをごまかしたくて、苦笑いしながらそう言った。
「あら、そんなこと。美容室はきれいになってもらうためのところなんだから。パーフェクトな状態で来られる方のほうがめずらしいわ」
奥さんの優しい言い方に、私の気持ちがふっと緩んだ。