電車を降りて改札を探す。出口に至るまで人の多さは変わらないが、数時間前に体験した大都会とは別の喧騒がそこにはあった。人のファッションなのか、それとも街の空気なのかはわからない。ただ、ブラックホールが再来しない場所であることは確かだった。
「よかったらカットモデルいかがですか」
視界を埋めるモノレールを遮るように、カラフルなカードで視界を覆われた。
よく見ると色は細い糸で編み込んだような花を形成していて、その上には「カット・カラー 無料」という文字が躍る。
「無料なんですか?」
「はい!基本的にアシスタントが担当しますが、店長が責任持って確認させていただくので安心ですよ。」
もっぱら地元に根付いた理髪店に通っていると、都内の美容院が技術を破格で提供してくれる事実が夢のようで、怖くもあった。
「…やってみたいです」
いつもなら絶対に言えなかった。
目の前に佇むレンガ造りの建物は海外を彷彿とさせる。いま手をかけようとしている木製のドアは物語の森の中に出てくるお家のようで、このドアと出会ったのが表参道であったなら絶対に入れなかった。自分がここに入っていいのか、一瞬そんな不安がよぎったけど、
それでも今日だけは、このお城のような建物に入らなければならないような気がした。
中はレンガ調から一変して白と黒を基調とした大人っぽい雰囲気が漂っていた。美容師さんは洗練された雰囲気で、横を通る度にいい臭いがする。芸能人に囲まれているようで落ち着かない。待合いスペースに通されてから、同じポーズのまま動けなかった。
「清原様、どうぞこちらへ」
私に声をかけてくれたのは、うっすらと赤い艶やかな髪にライダースジャケットを羽織るお姉さんだった。切れ長の目に長いまつ毛、絵に描いたような美人を前に一層緊張感が増した。
「はじめまして、本日担当するエミリって言います。」
「え、エミリさん…」
一瞬高級クラブと間違えたかのような錯覚を覚えた。美容師は源氏名を使うものなのだろうか。うろたえる春香をよそに、エミリさんはスマートに席へと誘導し、足元にも気を配りながら座るよう促した。
「今日はどのようにいたしましょうか。」
春香の髪を手ですくいながら、エミリさんは笑顔を顔を向けた。
さらりとエミリさんの髪の毛が揺れて、陽の光を浴びた赤がキラキラと輝いた。
こんなに綺麗な人が、画面越しではなく実在するのか。
正面の鏡に映るエミリさんに見惚れていると、彼女は何かを察したように奥からいくつかのカタログを持ってきた。
「最近はこのスタイルが人気ですね。お客様は色が白いからこういう髪型も似合うと思いますよ。あとは…」
ひとつひとつ春香の反応を伺いながら、どんな髪型が似合うかを提案してくれる。
私が東京の美容室に来たことが初めてだと伝えると、エミリさんは、可愛いもの、大人っぽいもの、かっこいいもの、様々なスタイルを一緒に考えてくれた。どれも系統は違うのに、恐らく私の服装に合わせてどこか柔らかい雰囲気が残るスタイルだ。
エミリさんの丁寧な心配りが嬉しくて、提案してくれたものの中から選ぼうと的を絞っていく。
「友達がまさにこんな感じで、佳代子はこれで、沙織は…」
提案されたヘアスタイルを想像しようとすればするほど、自然とみんなの顔が浮かぶ。
大人っぽいスタイルは、きっと佳代子のイメージ。大人っぽいスタイルは沙織で、可愛い系は朱莉。
じゃあ、自分は?
目の前に映る鏡を見た瞬間、未来予想図が完全に見えなくなった。きっと自分だけに似合うスタイルがあるはずなのに、それがわからない。