一緒に一文を眺めていた伊坂くんがふふっと頬を緩めた。
「なるほど。水瀬らしいね」
伊坂くんが好きそうな小説を探そうと席を立つと、伊坂くんが私の顔をジッと眺めた。
「水瀬さぁ、なんで髪の毛を伸ばしてんの?」
「え、それは……」
どうしよう。理由を話したところで伊坂くんに引かれないだろうか。少し迷って、伊坂くんともっと仲良くなれるならと思って話すことにする。
「小学生のときにね、理容師のお姉さんから『髪には記憶が宿っている。辛い記憶を忘れるために。思い出さなくてもいいように。だから髪を切るのかも』って教えてもらったことがあって。その考え方が好きなの。へんてこな理由でしょ」
なんて、おどけて笑っていたら伊坂くんの顔にどこか陰りが生まれた。
「伊坂くん?」
「やっぱり、水瀬だったんだな」
「……なにが?」
いつもの朗らかな表情とは違って、どこか悲痛な歪みも纏っていた。
「その理容師って俺の姉ちゃんなんだよ」
「え?」
確かに、お姉さんは弟がいると言っていたっけ。でも、それが伊坂くんだったとは。
「姉ちゃんの部屋で花の髪留めを見つけた。しばらくして水瀬がその花の髪留めを付けてきた。あんなのどこにでも売ってるものだと思って気にしてなかったけど」
「すごい。そんな偶然あるんだね。会えなくなっちゃったけどお姉さんは元気なの?」
正直、舞い上がっていたと思う。こんな風に伊坂くんと話せてることも嬉しいし、もう一度会いたいと思っていたお姉さんがまさか伊坂くんの身内だったなんて。
でも、伊坂くんの表情を窺う。心じゃないどこかがズクズクとした。
「若年性アルツハイマーなんだよ」
「じゃくねんせい……」
アルツハイマーって、え、あの物忘れが酷くなったり記憶が薄れていく症状の?
あのお姉さんの年齢はわからない。けど、私が小学生のときは二十代に見えた。あれから六年経っても三十代前半といったところだろう。お姉さんが、若年性アルツハイマー?
「もうずっと入院してる。会ってもいい。けど水瀬のことはたぶん、覚えてないと思う」
六年も前のことだから。と、伊坂くんが付け加える。
だいぶ昔のことだから、私のことを忘れてても悲しまなくてもいいんだよという、伊坂くんなりの優しさだったのかもしれない。伊坂くんが一番辛いはずなのに。私は。
「ごめん。また、お姉さんに会ってもいいかな?」
伊坂くんが小さく頷く。私も小さく、誰にともなく頷いた。