玄関を開ける。たたきに脱ぎ捨てられた三人分の靴の山をジャンプして乗り越える。その先の廊下にはまだ洗濯していない衣服が洗面所からはみ出していた。服を押しのけて手荒い場でうがいをし、顔と手をせっけんで洗う。タオル掛けにタオルがない。洗濯済みのタオルも見つからない。風呂をみるとお湯が張られていたのでレモンの香りの入浴剤を入れた。リビングに行く。
「母さん、タオル系全滅してるんだけど」
「ていうか、帰ってきたならまず挨拶しなさい」
「ただいま」
「おかえり」
「で、何してるの」
「保険証探してる。いつもの棚にないの。明日歯医者なのになあ。カズナあんた知らない?」
「知らない。探すよ」
「うん、お願い」
と、
「ただいま」
背広姿の痩せ型の男性が入ってきた。細い黒のフレームのメガネをかけていた。
「あ、父さん。おみやげちょうだい」
両親が声を合わせて、
「“おかえりなさい”は?」
「お、おかえりなさい」
「ていうか、今日帰ってくるって聞いてないかも。夕飯ないわよ」
「え。今朝スマホに送ったよ」
「知らないわよ」
「あ、そういや直前に上から呼ばれて送れなかったんだ。ごめん。どう外、食べに行く?」
「いいわよ。作るわ。からあげ、チャーハン、サラダでいいでしょ」
「全然オッケー。じゃ悪いけど先、風呂入るわ」
背広を脱ぎながら風呂場に向かう。
「あ!」
カズナが大声を出す。母親は息子を振り返った。カズナの手に保険証があった。
「コンビニ用のかばんのポケットから発見しました!」
「ホント? おっかしいな、そこも見たのになあ。まあいいわ、カズナ、ありがとう。今からお父さんがお風呂入ってる間にご飯作るから手伝って」
「え、うそ、ちょっと待って」
カズナが脱衣所に走る。中に向かって声をかけた。
「父さん今日帰ってくるの知らなかったから、先にレモン入れてた」
「そうみたいだなあ」
「次は父さん用の好きな入浴剤にするから、ごめん」
「ああ、よろしく」