インカレに2年連続で入賞している同期に声をかけられると、蓮見はどうしても敬語になってしまう。努力でも実力でも劣る自分が、彼らと「同期」の感覚でいることが申し訳なかった。
蓮見はいつも最後までロッカールームに残り、どうしようもない心の地獄と闘う。島に帰りたい。帰りたくない。なら、東京にいて何をする?何もしたくない……。毎回、大会後にやってしまう一人問答に飽きるとSNSを開く。西陽が注ぐロッカールームの写真に「予選会終了。次こそは」と、思ってもいない言葉を添えて投稿する。大学に上がった頃から島の誰もコメントをくれなくなった。みんな、蓮見の東京での惨状に薄々気づきだしたのだ。「島に未来は来ない。」このことに気づいた島民たちの引き際は鮮やかだった。そんな中でただ一人、池上環奈だけはいまだ律儀に「いいね」をつけてきた。
蓮見は環奈のことをよく知らなかった。ろくに話したこともない。唯一印象に残っているのは、中学の卒業式の日、なぜか蓮見がしていた包帯を勝手にほどいたことだった。変な女だ。当時はそう思った。だけどいつの頃からか環奈の「いいね」は蓮見にとって唯一の救いになっていた。
大学3年を目前にした春休みのある夜、蓮見は東京湾の晴海埠頭へ向かった。夜10時に出港する夜行船で島へ帰省するのだ。船はガラガラだった。蓮見は雑魚寝の2等室で腰を下ろすと、カバンから真新しい包帯を取り出し怪我もしていない右腕にぐるぐると巻き始めた。
この時期は毎年、部活の合宿があるのだが、蓮見はコーチに体調不良だと嘘をつき休暇をもらった。冬の合宿も同様の手口で参加しなかった。部活内では蓮見などいてもいなくても同じ底辺選手なのであっさり許可はおりたのだが、体調不良だと言えば帰省中に出歩きづらくなるため、親には怪我をして帰省すると言ってあるのだ。健康な腕に包帯を巻きながら、気分はどんどんと沈んでいった。蓮見はもう走りたくなかった。これ以上、コーチに、仲間に、島に、親に……嘘をつくことが耐えられなくなっていた。
翌朝、船は島に着いた。右腕を吊った蓮見がタラップに出て船着場を見下ろすと、パラパラと船客を出迎える島民の姿があった。島を出た日の光景が蓮見の頭をよぎった。中学の同級生や後輩、その父兄、教員、町役場の職員たち、それに町長まで……島中の人たちが大喝采で蓮見を東京へ送り出した。
今朝は同じ船着場で蓮見を迎えるのは両親だけだった。両親だけにしか帰ることは告げていなかったし、両親も東京で活躍できていない息子の帰島を誰にも伝えなかったのだろう。父母はカラッとした笑顔で手を振っていた。問題が大きければ大きいほど、なんてことないような顔で振る舞うのが蓮見家の習慣なのだ。
その日の夕飯は、親子三人で母自慢の明日葉の天ぷらや島寿司を食べた。陸上の話題は不自然なほど上がらなかった。父は蓮見と島焼酎を飲みたがったが、蓮見はそんな気分にはなれなかった。少し見ないうちに母の頭に白髪が増えていた。小さなこの島で、両親の肩身はどれほど狭くなっただろう……蓮見はやりきれない気持ちになり、体を動かしたいからと一人散歩に出た。
「無理すんなよ、怪我してるんだから」