「ああ。そっちに行っておらんかね」
ある日。仕事を終えて帰ろうとすると、義父から妻が居なくなったと連絡が入った。
「荷物はあるんだ。財布だけ持って出たらしい。あの、言いにくいんだが。娘は最近情緒不安定でね。妙な事を言っていたんだ。その、君が浮気をしているとか何とか」
「そんな!していませんよ、う・・してません!」
周りが見ている。俺は慌てて会社を出た。義父によると、妻は最近不安定な様子だった。優しく訳を問うと、俺が浮気をしていると泣きながら訴えたと言う。
「まあ、行くのはそっちの家しかないと思うんだ」
本当に財布だけ持って出たらしく、連絡がつかない。
「分かりました。今日は急いで帰ります」
電話を切る。まずい。急いで帰らないと本当にまずい。昨夜は家に彼女を呼んで夕食を作らせ、後片付けもしないまま書斎のベッドに連れ込んだからだ。
「あ・・・」
「お帰りなさい・・・」
妻は家に居た。
「料理、したんだ・・・」
「あ、ああ。俺もたまには・・」
「何作ったの・・・」
「鮭のソテーと、サラダと・・・」
「ふうん・・・」
妻は、俺に背を向けて立っている。シンクの中には洗っていない食器が、二人分。
「あ、あの。昨日は・・」
「疲れちゃった・・・」
俺の下手な言い訳は遮られた。妻はソファに横になる。
「二階のベッドに連れて行くよ」
そう言って俺は妻に肩を貸した。腹はまだ膨らんでいない。まあ、あまり大きくならない妊婦も居るとは聞いたことがある。だが顔色は悪く、青白くむくんでいる。
「ねえ。本当なの」
ぎしり。階段が軋む。
「匿名で電話があったの。実家の病院に、あたし宛てに」
ぎしり。
「貴方が浮気してるって・・」
「馬鹿だな。何言ってんだ」
ぎしり。
「そうよね・・誰かしら」
ぎしり。
「あの女の声・・」
俺の脇と顔と背中と、体中から汗が噴き出す。
「嘘だって。そんな。何かの間違いだよ。違うって!」
妻はにっこりと笑った。死んだ魚のような顔で。そして、
「もう寝るわ」