小説

『蛇が睨む』篠崎フクシ(『蛇』)

 さっきまで小降りだった雨が、わずかな時間のうちに大降りになってしまった。友人のWはやけに無口で、俺の前をどんどん先へ歩いていく。Wのビニール傘は親骨が一本折れていて、露先がふれる左肩をビショビショに濡らしていた。俺の傘は丈夫で、多少値のはるものだったから、それほど水の被害をうけることはなかった。しかし、膝下の濡れるのは妙に腹立たしかった。
「今日こそ、言う」
 Wは濡れた制服のことなどまったく意に介さない様子で、雨水をたっぷり含んだスニーカーを交互に持ち上げ、目的の場所に向けて前進を続けた。
 いつだったか……、こんな情景を以前も見たことがある。同じような雨の中を二人で歩く……、しかし、思い出せない。
 歩道の側溝からは、逆流した水がゴボゴボと音を立てて湧き出てきた。車道もまた同じことで、傾斜した歩道寄りの窪みには、灰褐色の水が異様に水嵩を増していた。
 後ろから一台のダンプカーが近づき、水溜りを思い切り踏むと、噴水のような飛沫が俺たち二人に襲いかかった。
 俺はもはや、腹立たしいというよりもこの状況に呆れ、自棄的な気持ちになっていた。
「すげえな、雨」
 返事なんて期待しないで、俺は吐き捨てるように呟いた。Wは予想通り何も言わなかった。同意も否定もしない。いつも奴は、思い詰めるとこんな感じだった。そして、俺の気持ちなどおかまいなしに、自分勝手なことばかり口にする。
「今日こそ、言う」
 俺はWの、その独り言のような台詞に、なんの反応も示さなかった。大粒の雨は、その間も止む気配がなく、紺の傘布を烈しく打った。
 午後の授業をサボり、ファミレスでいろいろと話し合ってから、結局学校に戻ることになった。俺は憂鬱だった。今日もWのやつ、たんなるハッタリで、日和ってくれればいいとさえ考えていた。それに、この雨だ。
 校門から吐き出される、下校する連中の傘は色とりどりだった。強い雨に煙る、グラウンドの景色は、妙に美しかった。赤や黒、オレンジ、そして透明の傘たちと白い水煙は互いに溶け合っていた。
 俺たちはそんな幻想的な流れに逆らい、人を掻き分けながら校舎の玄関口に向かった。一人、下駄箱の前で上履きを脱ぐ、彼女の姿が見える。
 ——、ああ、そうだ、思い出した。
 この情景は、現代文の教師が余興で読ませた、夏目漱石の掌編だ。たしか、「蛇」という題名だったように覚えている。時代もシチュエーションも違うのに、初めてその掌編を読んだとき、妙な感銘をうけた。
 あの時、主人公の叔父の手から逃れた蛇が、俺の知っている誰かに似ているような気がしたのだ。
Wは俺の予想を裏切り、颯爽と彼女の前に立った。そして、ほとんど下校の生徒が居なくなったのを見計らい、自分の気持ちを告白した。

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