小説

『小さな川の出口』菊武加庫【「20」にまつわる物語】

 眼鏡を初めてかけたのは、たしか二十歳の春だった。
 突然視力が落ちて、大学の講義を受けるのに支障をきたすようになったのだ。特に大教室の講義は大変になった。大学の先生というのは高校までと違って親切ではない。気まぐれで唐突に、ミミズの這ったような文字をホワイトボードに書きなぐる。これでは前期いっぱいもたないと、バイト代をつぎ込んで眼鏡を作った。
「意外に思われるかもしれませんが、子どもさん用だともっとするときがあります。視力だけでなく、成長にしっかり合わせる必要がありますから作りかえることもあります。大人の方の場合は殆ど芸術品のようなものもあって楽しいですよ。どうぞご覧になってください」
 いくつかの手頃な商品を並べながら、メタルフレームの眼鏡をした男性店員がこともなげに言う。
 磨かれたショーケースには、繊細な曲線を組み合わせたフレームに、様々な石が埋め込まれた、宝飾品としかいいようのない眼鏡が並べられている。
「そうだな。やっぱり二十万くらいのものがいいかな」
 隣の声にぎょっとする。声の主は別の店員に商品説明を受けていた、四十代半ばと思しき上品な紳士だ。当たり前のことを呟いただけの口調で、眼鏡というものがかくも高額だという事実に、口が空いたままになりそうだった。結局その日紳士の十分の一ほどの出費で、セルロイドの眼鏡を購入した。それでも当時のわたしにとっては、清水の舞台から飛び降りる決意の買い物だった。

 視力だけには自信があった。中学時代、次々と同級生が眼鏡やコンタクトの世界に足を踏み入れて行くのを、大げさに言えば対岸の火事のように眺めていた。
――『仮性近視』が増える年頃ですが……。
 保健の先生が繰り返し話しても、どこまでも他人事で、『家庭近視』だと聞き違いをしていた。家庭でのテレビとの距離や、読書の姿勢が原因で起こる近視だと長いこと疑わないできたのだ。
 考えてみればこの件に限らず、そういった勘違いの多い子どもではあった。友だちが少ないのと目立たない性格のため、発覚することがなかっただけだ。
 『赤とんぼ』の歌は、とんぼの大群に「追われ」たヒッチコックの映画の一場面のような歌であり、『ふるさと』はうさぎが「おいしい」ジビエ(当時はそんな言葉は知らないが)の里だと思い込んで歌った。『蛍の光』は窓の雪を「踏み」ながら読書をする、サーカスのような不思議な歌だと信じて成長した。本当のことがわかるたびに、こっそり心の中で訂正したものだ。すると歌の風景は美しく懐かしい、それ以外はありえないものとして、やっと心に着陸するのだった。

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