小説

『弧の増殖』末永政和(岡本綺堂『海亀』)

 月夜の晩のことだった。一人浜辺を歩いていた。道の灯りもここまでは届かず、薄雲のあいだから漏れ入る月光だけが、私の影を砂地に深々と縫い付けていた。
 振り返ってみれば、たった一人の足跡が点々と浜辺に伸びている。まだ夏を迎える前ということもあり、他に人影は見当たらない。観光地にしてはずいぶん寂れていて、今の自分にぴったりだと思った。
 打ち捨てられた小舟が腹部を晒していた。ねじくれた流木があちこちに転がっていた。薄汚れたサンオイルの瓶が、片方だけのビーチサンダルが、無言で散らばっていた。生きものの気配はなく、ただ打ち寄せる波音だけが延々と続いている。忘れかけていた耳鳴りが、今またよみがえったかのようだった。
 宿を出てからずいぶん歩いた。何も告げずに出てきたが、心配されるいわれもない。朝までに帰れば問題ないはずだ。本当に帰る気があるのか自分でもよくわからないが、なるようになるだろう。
 左手には波打ち際があり、右手には消波ブロックが整然と並んでいる。いかにも侵入者を阻むような佇まいのコンクリートの塊が、隙間なく敷き詰められている。風情もなにもない。無機質な連なりを見ていると、うすら寒い気持になってくる。
 ふと前方を見やると、轍のような跡がじぐざぐに伸びていた。車が走った跡にしては、両輪の間隔が妙に狭い。オフロードバイクの跡でもなさそうだ。波打ち際からまっすぐに消波ブロックまで続き、そこからブロック沿いに円弧のような跡が連なっていくのだった。
 砂浜に轍を刻んだのが何者か、その正体はすぐに知れた。それの歩みはあまりに遅く、疲れた私の足取りでも、追いかけるにわけはなかったのである。

 それは海亀だった。産卵のために海からあがってきた海亀が、消波ブロックに行く手を阻まれて、それでもあきらめきれずに彷徨い歩いているのだ。彼らの悲しい足跡を、タートルトラックと呼ぶのだと聞いたことがある。何もせず海に戻るという選択肢は彼らになく、なんとかブロックの向こうへ行こうと、産卵の場所を探そうと、彼らは命がけで歩くのだ。
 この地域で海亀が卵を産むなど、聞いたこともなかった。見れば甲羅は巌のように冷たく、月の光をはねかえしていた。前ビレで必死に砂をかきわける姿が哀れだった。いっそのこと持ち上げて、ブロックの向こうまで連れて行ってやればいいのだろうか。自然の営みに手を貸すのが正しいのかどうなのか、分かりようもなかった。
 海亀の少し後ろから、私はゆっくりと、その歩みを見守っていた。時間だけが無情に過ぎていく。けしかけるような波音が、無責任に寄ったり引いたりしている。そのうち私は見るに見かねて、海亀を追い抜いてその前に立ちふさがった。もういい加減にあきらめればいいのだ。無理に卵など産まなくてもいい。自分の命を削り捨ててまで、新たな生にしがみつくのは愚かではないか。

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