小説

『双子倚子』ナマケモノ(江戸川乱歩『人間椅子』)

 定子の兄伊周《いしゅう》と彰子の父道長は、関白を争った政敵同士であった。帝が道長を選んだことに逆上した伊周は、弟の隆家とともに前天皇である花山院を襲撃し、道長の味方をした帝の母詮子《せんし》を呪詛するなど、天皇家に泥を塗る行為を繰り返す。あまりの横暴さに帝は伊周と隆家を流罪とした。
 長徳の政変と呼ばれているこの一連の騒ぎを受けて、定子は衝動的に出家をしてしまった。だが、彼女を側に置きたい帝は、伊周と隆家を許し、定子を還俗させたのだ。定子の還俗を推したのは道長と、母である詮子だった。
 だが、宮中に舞い戻った定子は道長にとって脅威となる。
 定子が皇子を生んだのだ。
 皮肉にも、それは道長の娘彰子が、帝と夫婦となった日であった。道長は、定子の出産に重なるよう彰子が女御となる日取りを定めておいたのだ。そして、一度は出家しながらも皇子を産んだ定子を、手厳しく非難した。
 道長の酷評により、宮中の貴族たちはさらに定子に非難を浴びせるようになる。彼女の心労は頂点を極め、媄子をこの世に残して亡き人となってしまった。その媄子も亡くなったばかりだというのに、この謀りようは何だというのだろう。
「そんなにも、私が彰子に夢中にならないことがのが気に食わないのか、あの古狸めが!」
 忌々しく吐き捨てたところで、胸の怒りが収まるはずがない。帝の脳裏に、道長の微笑が浮かぶ。
道長はいつでも口に微笑を湛えている。そして、澄んだ眼をこちらへ真っ直ぐと向けてくる。怜悧に輝くその眼に見つめられると、帝は義父であるこの老人が恐ろしくなるのだ。
 腹の底まで、こちらの気持ちを見透かされているような心持ちになる。彼の言わんとしていることに、ついつい耳を傾けてしまう。そして、彼の行いには全て、深い意味が伴っているものなのだ。
 この倚子を道長はなぜ贈ってきたのだろうか。道長の意図を帝は考える。さりとて、あの古狸の心持ちなど分かるはずもない。
 途方に暮れた帝は、倚子を見つめる。組み合わさった女たちは、相変わらず艶然とした眼差しを向けてくるばかりだ。
 女の一人が手に何かを握っている。そのことに気がつき、帝は倚子に駆け寄っていた。女の手に握られているのは、折りたたまれた文だった。道長が自分に宛てたものに違いない。そう思い、文を手に取り読んでみる。
 思ったとおり、それは道長が帝に送ったものだった。

1 2 3 4 5 6 7 8