『さよなら、喜田くん』鳥飼みその(『北風と太陽』)
去年のクリスマス、喜多くんがあたしにくれたプレゼントは広辞苑だった。 広辞苑というのはあの広辞苑で、言葉がたくさん載ってる分厚い辞書のこと。その話を聞いた友だちはヤバイとかウケるとか口々に言ってお腹痛くなるまで […]
『ブンタ』山本亮(『北の海』※詩集「在りし日の歌」より)
死ぬなら海にかぎる。男はそう決めていた。 おもむくままに車を走らせ、偶然たどり着いたこの海岸の砂浜に、男は立っていた。 さほど大きくもない海岸で、秋の肌寒い日だったが、空は青く、海も青かった。 まばらに人の姿もあ […]
『月夜の夢』水星浩司(『夢十夜』「第三夜」)
これは夢だったのか。 私はベッドに体を横たえていた。ブルーの女性用の寝巻きを着ている。白い毛布が胸までかかっている。部屋の中は薄暗く、間接照明で白い天井や壁は薄いブルーに着色されていた。窓には白いカーテンがか […]
『退任式』高乃冬(『こころ』)
雪が、ちらついている。 「ねえ先生。僕って、認めてもらう立場、なのかな」 窓の外を見ていた先生は、微笑しながら僕の向かいのソファに座る。ソファはテーブルをはさんで置かれ、一人で座るには大きい。 「今日も突然で […]
『幸の枝先』和織(『あじゃり』)
風都という少年は、母親に対してとても大きな愛情を持っていた。彼はもうすぐ十歳になろうとしていたが、外出してもぴったりと母に寄り添い、母が重い荷物を持っていればすぐに代わってやろうとするし、風邪でもひいた日には、 […]
『ゲーム』森行クライ(『少女パレアナ』)
・・・・・・が亡くなったって、というリョウの声が、今年は暖冬となるでしょう、というテレビの天気予報の声に交じった。 「え?何て言った?」 「物理のクマセンが亡くなったって。高校の時のグループラインで連絡きたよ」 […]
『母 2024』和毛知恵(『母』)
沈黙に、途方も無く鈍い苛立ちが隠れている。 殺風景な日常では、冷たい風が無数の凍った針達になり、体を刺す。 汚れたアスファルトと民家の境界で、プラスチックの鉢植えに植えられた花が「ここから」と、疲れ気味に微笑し […]
『そして僕も、やれることを』川和真之(『ウサギとカメ』)
名前が呼ばれた。僕の名前ではない。先月に続いて後輩の名前だった。月初めの営業会議、恒例の表彰に向かう彼女の足取りは軽い。ふんわりとスカートが揺れた。にこやかな笑顔を支店長に向けて、慣れた手で賞状を受け取りお辞儀 […]
『あたし、はぐれもん』かわのももこ(『パンをふんだ娘』)
マスクが、風に飛ばされていった。 飛んだマスクの方向を見ていたら、鳩の姿があった。公園の中で鳩たちは忙しそうに首を動かし、土をついばんでいる。都会に住む鳩たちは人間に対しての警戒心もなく、そばにいけば何か貰え […]
『一人メロス』亜古鐘彦(『走れメロス』)
兄は激怒した。かの、小さい時は可愛かったのに邪知暴虐となってしまった弟を何としても改心させねばならぬ。兄は大学生であった。大学の夏休み、これといって予定のない兄は、久しぶりに実家に帰省していた。兄には、流行りが […]
『蜘蛛の業』仁瀬由深(『蜘蛛の糸』)
1. 潰されないですんだことは幸いだった。漆黒の地面に小さく丸まりながら、蜘蛛は身震いを抑えることができなかった。真っ黒な塊になって降ってきた無数の人々は轟音を響かせて地表に叩きつけられ、悲嘆と怒りの声を上げた […]
『揺/炎』平大典(『安珍・清姫伝説』)
誰かの家が燃えた。午後十時に召集がかかって、俺は詰所に向かってから消防車両に乗車して出動した。 全焼だった。 残火処理を含めて現場の撤収が終わったのが午前二時だった。 本部詰所で片づけ作業をしていると、川 […]
『おすそわけ』NOBUOTTO(『泣いた赤鬼』)
オーディション落選の報告メールが、事務所の佐川から送られてきた。最近は電話でなくメールで済まされることが多い。 新人担当の佐川のお抱えメンバーの中には大手の雑誌モデル、端役ではあるがドラマの出演が決まる子もい […]
『ニット帽の縁繋ぎ』いしもともり(『かさ地蔵』)
「栗山さーん、今年のクリスマス会のバザー、何にしますか?」 ここは介護施設はるかぜ。栗山道子は、週に2回ここでデイサービスを利用している。先の介護職員の優子の質問に答える。 「そうだねぇ。毛糸の帽子でも編もう […]
『27倶楽部』春名功武(『The 27 Club(ジンクス)』)
ある静かな夜。窓の外には幻想的な三日月が浮かび、見慣れた景色は神秘的に映っていた。こんな夜は良い曲が出来そうだ。伊吹昭二は窓辺に腰を下ろし、ギターを奏で、思いつくままに歌を口ずさむ。彼はプロのミュージシャンを目 […]
『母を追う』山本(『おむすびころりん』)
母の葬式は身内だけの簡単なもので済ませた。 それでも地域柄、同じ地区の人々は家に訪れ「仏壇にだけでも」と手を合わせていった。 この地域ではみんながみんなを知っている。どこの家の何番目の子どもがいつ卒業し、ど […]
『人が月に住む頃は』十六夜博士(『竹取物語』)
指定の居酒屋は高層ビルのレストラン街にあった。入り口を入ると、黒い色調の壁、天井に小さな光が散りばめられている。受付の女性スタッフに幹事の名前を告げると、「こちらにどうぞ」とカオリを案内した。 案内された先は […]
『これが猫の恩返し』川瀬えいみ(『鶴の恩返し』)
鼠捕りの罠に猫が掛かっていた。罠は、餌を食べようとした鼠が罠に触れるとバネが動いて鼠の体を捕獲する、超古典的なもの。 こういう状況をどう言えばいいのか。『ミイラ取りがミイラになる』? むしろ『人捕る亀が人に捕 […]
『龍宮より見上げた空』柊遼生(『浦島太郎』)
烏賊(いか)が余興に墨をぷいぃとはき、宙に龍を描きだす。虹色の輝く玉を手にした黒龍が、一同の頭上をうねうねと舞った。おおぉ、感嘆の声と吐息とがここまで聞こえてくる。琴の音色の中、烏賊が十(とお)の腕(かいな)を […]
『vanilla』酒瀬隼人(『浦島太郎』)
亀を助けた浦島太郎は竜宮城で玉手箱を貰って最後にはシワシワのおじいさんになってしまった。じゃあ、玉手箱なんかなければ? 秋の学校は文化祭の準備でガヤガヤせわしい。うちのクラスも例外ではなく、展示物の制作で騒々 […]
『夢ステーキ』関根一輝(『夢十夜』)
こんな夢を見た。 同僚とカフェに行くと、見知らぬ男が声をかけてきた。どうやらこの男は怒っているらしい。 「ステーキを食べる夢を見たって言ったじゃないですか。お金払ってくださいよ」 「なんですか、急に」 私は […]
『せまい村と、その円環』高乃冬(『三匹のやぎのがらがらどん』)
「こんな村、絶対出て行く」 編込みのカーディガンを揺らすひんやりとした風。木陰から青白い空を見つめながら、クランは言った。 「でもクラン。村を出ていくのは大人になってからじゃないとだめってパパとママ言ってたよ」 […]
『glitched moon』和織(『最初の苦悩』)
水面に映った満月を見ると、自分の苦悩が終わった瞬間を、人を殺したときのことを思い出す。もちろん後悔などしていない。過去に対して使う「もし」に意味はないれけど、時間を巻き戻せたとしても、私は必ず同じことをする。他 […]
『音のある世界』サブ(『耳なし芳一』)
夕日の差す美術室で女子学生-――黒牧緑は絵を描いていた。 黒牧がスケッチブックに描いているのは、線の細い男性のイラストで、最近流行りのアニメのキャラクターの一人だった。 黒牧は美術部の部員だが、いわゆる絵画 […]
『三千円世界』柿ノ木コジロー(『さんまいのおふだ』)
たまに思う。人生の最後の最後に、誰もがなにかを支払って、受け取り、それを繰り返して結局のところ、収支プラマイゼロで人生を終えるのではないか、と。 三軒目のスナックで会ったのは、とにかく人をそらさない、面白い女 […]
『after revenge』葵一樹(『七ひきの子ヤギ』)
深夜のことだ。村外れの井戸のあたりに、荒い息遣いが響いていた。ぐっしょり濡れた体を井戸の石組みにもたれかけ、狼は今にも大声で叫んでやりたいのを必死にこらえていた。 叫んで暴れるには体力が限界だった。腹に詰めら […]
『泥を塗る』青田雪生(『天岩戸神話』)
ついに堪忍袋の緒がブツンと切れ、元凶である上司の頭に労働基準法のパンフレットを叩きつけたらクビになった。正確には「頭が冷えるまで出社するな!」と怒鳴りつけられたから、用意していた退職届を追加で叩きつけて辞めてや […]
『涅色に染まる』環花奈江(『ロミオとジュリエット』)
守門《すもん》のお山に、三度目の雪が降った。 これで里にもそろっと雪が降るで、と土地の者たちが予言した通り、今朝、和尚が寒さに震えながら目を覚ますと、結和寺の境内にはうっすらと白いものが積もっていた。 重く […]
『白雪姫解放戦線』蔵原先(『白雪姫』)
あ、生きてる、私。 目は開かないけど、何が起きてこうなったのか、分かる。リンゴ売りのリンゴを食べたらこうなった。喉に違和感。リンゴが引っ掛かってる。飲み込む前に気絶したんだ。 喉を通っていないのなら、もうす […]
『曇天』竜希萬造寺(『少年たち』)
この部屋には何とも虚しい空が広がっている。 僕と加奈子は、生まれた時の姿で、天井を見上げていた。 平日の昼間だと言うのに、外界からの光は少しも無く、カーテンの隙間から霞んだ日差しが線状に差し込む神秘的な光景 […]