小説

『真夏の浦島奇譚』小杉友太(『浦島太郎(御伽草子)』)

 時刻は午後三時を回っていた。この日は元々客足が鈍く天気もどんよりしていたので、私は少し早いが海の家を閉めることにした。ここの店主は地元の金持ちのドラ息子だが、彼は八月後半ともなるとサボって店には来ないのだ。営業中の札を裏返し、準備中に替える。降ってわいた浦島太郎との遭遇を、誰にも邪魔されたくはなかった。すでに私とユリはこの案件にどっぷり嵌まって夢中になっている。マジックペンを渡された太郎爺さんが描いた絵は、それほど衝撃的だったのだ。
 スーパーのチラシの裏に太い筆致で描かれたそれを見て、私とユリは言葉を失った。それはどう見てもキノコ雲なのである。核爆弾が投下された後に立ち昇る不気味な雲。太郎爺さんは「やだやだ」とだけ言って眉間に皺を寄せる。ややあって、「外には出られんのじゃ」とポツリと呟いた。放射能で汚染された外界。すぐにそんなイメージが思い浮かぶ。出られないということは、竜宮城が核シェルターの機能を備えている可能性もある。私は太郎爺さんにもっと他の絵をリクエストしてみた。乙姫様を描かせてみると、それは確かに亀の顔にも見える。しかし卵形の丸の中に点々を打っただけのその顔は、頭髪がすべて抜け落ちた女性とも連想できるのだ。童謡では「絵にも描けない美しさ」と謳われていたはずなのに、爺さんは他にも様々なものを次から次へと描いてみせる。それらの絵はひどく抽象的ではあるものの、私には手や足が欠損した異形の人間達としか、もはや見えない。
それにしても、この未来図が私やユリから見てそう遠くない事は大いに不安を掻き立てた。テレビやスマホがあるのだから、今と地続きの近未来である事はほぼ間違いない。そしてこれらの絵や話が、近い将来の核戦争を予言するように思えて不気味でならないのだ。
 太郎爺さんの絵を肴にして、私達はずっと話し合っていた。やがて、曇り空の切れ目から強烈な夕日が海の家に差し込んできたその時、やおら太郎爺さんがボリボリと頭を掻き始めたのである。ついに突然変異が始まるのかと身構えていると、いきなり見事な禿げ頭が現れたので私とユリは仰天する。なんと太郎爺さんの髪はカツラだった。てかてかの頭頂部には赤い斑点が広がっていた。カツラを被り続けて蒸れてしまい炎症を起こしたのだろう。太郎爺さんは御伽草子の原典通りに「鶴」へと変異した。

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