小説

『伊勢志摩の人魚』伊藤東京(『人魚姫』)

 鼓動が聞こえる。全ての生命の源である海の中で、私は膝を抱えて丸くなりながら浮いていた。波が寄せる度に近くの岩場で波が崩れるのが伝わって、まるで母体の鼓動を聞いている胎児のような気分だ。
 目を開けると、楕円形の水中眼鏡越しに光の矢がいくつも水中に突き刺さっているのが見えた。水面が青空を宝石の輝きのように映しているのを見て、私は膝を抱えるのをやめ、自分の体の上で踊る光の波紋を見る。
 辺りを見渡せば岩肌から深緑色の海藻が水面へと手を伸ばしている。
 下を見るとカラフルな岩のタイルが段差を作って、その隙間に豊潤な海の宝を蓄えている。
 私はその宝を見つけるべく、足ひれで力強く水を蹴って深く潜る。水圧で肺の中に残った空気が口から出そうになる。岩に手をかけて自分の体を引き寄せ、岩の割れ目を覗くが何も見つからなかった。
 水面に向って足を動かし、自分の体で水を割くのを感じ取る。水面から顔を出すと、太陽の光が一気に注がれ眩しかった。
 鼻から息を吸ってヒュッと音がするように息を吐き、呼吸が落ち着くのを待つ。
 水面には海女の黄色い浮き輪が浮かんでいる。私の浮き輪には昆布などの海藻ばかりが入っている。
 私の浮き輪より陸から遠い方に姉の黄色い浮き輪が浮かんでいる。ぎらぎらと光っている水面の反射と、夏の空を眺めていたら、私と同じように海の中に潜っていた姉が水面に上がってきた。
 姉が帰ろうと片腕を振って合図をしたので、私は陸に向って泳ぐ。
 水から這い上がると、私は足ひれを脱ぎ、浮き輪を担いで、ウェットスーツのまま家に向って歩いた。

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