小説

『雪路の果てに』春比乃霞(『こんな晩、雪女、座敷わらし』(日本各地(こんな晩、雪女)、岩手県など(座敷わらし))

 身を起こす彼女を、藤夫は慌てて助ける。それでも心配で、肩から毛皮をかけてやる。
 戸を開けると、白い満月が煌々と輝いていた。銀世界を照らし、夜闇に光が満ちている。物の作る影は穴のように黒く、明暗が目に眩しい。
 気遣うように、彼女の横顔を見る。歳をとってもなお、ツユは美しい。だからこそ、今にも消えてしまいそうな気がして、藤夫は彼女を抱きしめた。
「こんな晩でしたね。私を迎え入れてくれたのは」
 耳元で、彼女はそっと囁いた。
 自分が父親に言い放った言葉に、そっくりだった。
「もしかして……」
「そうです。あなたのことを、昔から知っていました」
 離れようとする藤夫の腕を、ツユはそっと握った。
「私は実は、あなたの家にいた座敷わらしなのです」
「座敷わらし……?」
 突然の告白に、藤夫は戸惑う。遠い昔に聞いたことのある、常ならざるものの名前だった。
「家に幸せをくれるっていう、あの座敷わらしか」
 はい。とツユは頷いた。
「優しい夫婦だな、って思って、あなたの両親のところに行きました。今までいたところで一番、居心地のいいおうちでした。あなたが生まれて、家は賑やかになりましたよ。私も嬉しくて、あなたと毎日のように遊んだんです。人間と遊べて、とても楽しかった」
 出会ったときに感じた、懐かしさ。その正体はこれだったのだ。
「でも、あの満月の日、あなたが言った言葉で、私は理解しました。お金があったのは、旅人を殺したからなんだって。優しい人たちだと思っていたから、びっくりしてしまった。それで、私は家を飛び出したんです」
「座敷わらしのいなくなった家は、不幸になる……」
 ツユは頷く。
「あなたがひどい目にあったのは知ってました。私はずっと、それが悲しかった。本当に悪いのはあの二人なのに、あなたが悪者扱いされていて」
 生まれて初めての共感に、藤夫は心臓が止まる思いだった。
「私が出て行かなければ、そうはならなかったのに。せめて、あなたが死んでしまわないようにと、ずっと見守っていました。ここに住んでもよかったけど、人里から離れた山奥は、座敷わらしの私には苦しかった。毎日、反対の村にある家からあなたのことを見にきていました」

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