小説

『シュレーディンガーのうらしま』さかうえさおり(『浦島太郎』)

「おう、ヨリ」
「パパ!?」
 高校からの帰り道。後ろから声を掛けられて振り返った娘は、驚きで固まった。
 抱きついてはくれないか、と俺は内心残念に思った。
「高校生……だもんな」
 ヨリはそろそろと、俺に歩み寄る。背が伸び、ワンレングスの大人びた髪型になっていた。
 ほんの十日、竜宮で過ごしたうちに、世界は三年進んでいた。
「パパ、生きてて良かった」
 ヨリが、息のような声で言う。
「名声は得られなかったけどな」
 俺が帰還してから、竜宮が観測されることは二度となかったのだ。
「玉手箱は貰いそびれたようね?」
「ああ。――ヨリ、俺はこれから珠子に会いに行く。復縁を申し込みに」
 ヨリは顔を歪めた。
「今さら遅いわ。ママには恋人がいるもの」
「いいんだ」
 予想していたことだ。俺はうっすらと笑って見せた。
「何とかの猫と同じで、答えを聞くまでは分からない、とか言うつもりじゃないでしょうね?」
「面白い事を言うなぁ。さすが俺の娘だ」
「面白がってる場合?」
「復縁がダメでも、話を伝えられればいいんだ」
「何を伝えるの?」
「俺は幸せだった、と」
「え?」
「俺はずっと、幸せを外の世界に求めていた。でも珠子は言った。自分の幸せは自分で決める、と。今なら意味がわかる。幸せは外にあるんじゃない。自分の心が決めるんだ。俺は珠子を失って初めて、彼女の愛に包まれていたことに気付いた。今だって幸せだ。愛に包まれていた過去に気付いたからね。例え復縁できなくても……」
 次の瞬間、ヨリが俺に抱きついた。

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