小説

『大先生』太田純平(『千早振る(落語)』)

 彼を責める気などない先生が、むしろ気遣うように言った。それが新藤にも伝わったのか、彼は緊張で声を詰まらせながらたどたどしく答えた。
「ええっと、『色』というのは、多分、掛詞だと思います。単純な色と、恋という意味の色と。他の単語は、正直、わかりません。だけど、恋について歌っていて、途中に『ふる』という言葉があるので、フラれてしまった――つまり、失恋ソングなのかな、と、自分は思いました」
 蚊の鳴くような声で新藤が言い終えると、いきなり水町が叫んだ。
「バーカ全然ちげぇし! 『世にふる』の『ふる』は『雨が降る』と『時間が経過するという意味の経る』の掛詞だよ! 『ずっと降り続く雨』と『年をとっていく私』を掛けてんだよ! だからこの和歌は『美しい桜の花は、春の長雨が降る間に色あせてしまった。私の美しさも、恋ばかりしているうちにおとろえてしまった』って意味なんだよ!」
 水町が淀みなく言い終えると、先生は彼のほうへ膝を進めた。水町はすぐさま教科書の中に仕込んだスマートフォンを隠そうとページをめくった。実は彼も和歌の意味を検索してカンニングしていたのだ。鼻につく新藤に一泡吹かせるために。
 しかし先生が向かったのは水町ではなく新藤の机だった。先生は新藤の前に立つと、「いいね」を示すハンドサインを出した。キョトンとする新藤に先生は「素晴らしい」とも言った。
 するとそこで授業終了のチャイムが鳴った。それから先生は特に何も言わず、日直の号令を終えて、静かに教室を後にした。途端にどよめく生徒たち。
「まったくデタラメな先生だよな」
「あぁ。教科書通りに教えてくれなきゃ困るよ」
「デタラメ教えられたってテストで点取れないからね」
 勉強が出来る生徒ほど先生に批判的であった。水町は「危ねぇ危ねぇ」と先生に没収されそうになったスマートフォンを愛でると、まるでそれを武勇伝のように周囲に語り始めた。

1 2 3 4 5 6 7 8