小説

『飴買い』秋野蓮(『産女の幽霊』(長崎県長崎市))

 生んですぐに私を捨てた母。私はこれまで母のことを知ろうとも、知りたいとも思わなかった。知りたいという気持ちを持たないことが、私を捨てた母への復讐だと思ってきた。
「しいちゃんのお母さんはね、小さい頃から活発で、自由奔放な子やった。私たちの育て方の悪かったとやろうね、ごめんね、しいちゃん。いつん間にか妊娠しとって、『相手の名前は言わん。でも生む』ってゆうて、しいちゃんを生んだとよ。しばらくは幸せそうに子育てしよったとけど、根っからの自由人やったとやろ、『静のことお願いします。探さないでください』って書き置きば残して消えてしまったとよ」
 祖母は一気に話し終えると、ごそごそと席を立ち、タンスの奥から一枚の写真を差し出した。
 それは、初めて見る母と、母の胸元でお乳を吸っている私の写真だった。母は幸せそうに微笑み、そのときの記憶なんてもちろんないけれど、私は一生懸命に生きよう、生きようとお乳を吸っていた。
 その写真をみて、私は「母なりの愛情はあったのかもしれないな」と漠然と感じた。決して母を許そうとは思わないが、その瞬間だけだったにしろ、私に対し、精一杯の愛情を注いでくれていたのだと思った。

 私は、子どもが生まれたとしても愛情を注げないのではないかと、頑なに思ってきた。家庭を持つ資格もなければ、子どもを育てる資格もないと思ってきた。だから、彼との間に子どもができたと分かった時、不安で不安で仕方がなくなり、彼に「妊娠したみたい」と事実だけを告げ、仕事を辞めて長崎に戻ってきた。
 だけど、あの掛け軸の前で赤ん坊を抱いたとき、抱いたような幻想を抱いたとき、確かに感じることができた。心のうちからにじみ出る「この子が愛しい」という思いを。
 私はお腹に手を当てて、まだ種のようなわが子に語り掛けた。「大丈夫。あなたのお腹がすかないように、ちゃんとお乳をあげるから」
 その時、私の覚悟を見透かしたようにスマホが鳴った。彼からの電話だった。
「もしもし、しいちゃん? 今どこ? しいちゃん、僕、しいちゃんにプロポーズしたいいだけど」

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