小説

『流れる』白川慎二(『舌切り雀』)

 むかしむかしの話です。
 おばあさんが竹林の中で、ごろりと横になっていました。僅かでも動こうとすると腰に稲妻のような痛みが走ります。月のない晩です。おばあさんは闇の深さも、うっすらと露に濡れゆく体も、ちっとも嫌ではありませんでした。何かに追われて走り回り、気が付けば日がとっぷりと暮れている日々を繰り返していましたから、こうしてぼんやりと星のまたたく空を見上げるのは生まれて初めてのことに思えて、清々しい気持ちさえしていました。もうこのまま歩かれなくて獣に喰われてもよいし、野垂れ死にしても構わないと、一抹の悲壮感もなく考えていました。
 その時、「おおい、ばあさんや」という声が聞こえてきました。どうやらおじいさんが探しに来てくれたようです。おばあさんは、もし返事をしなければ、きっとおじいさんはそのまま通り過ぎていくだろうと考えました。そうする方が自然で、た易いことに思えましたが、おばあさんの口は勝手に「こっちだよ、ここだよ」と声を出していました。松明を掲げながらやってきたおじいさんは、おばあさんを見るなり「何をやってるんだ」と叱るように言いました。平生は声を荒げることのないおじいさんなので、おばあさんは意外に感じ「どうしたのさ」と問いました。おじいさんは怖い顔をして「どうもこうもあるか」と応えます。
「おチュンのところへ行く、と言って、家を飛び出して帰ってこないから探しに来たんじゃないか。さあ帰るぞ」とおじいさんはおばあさんの手を引きます。
「痛たたた、私は腰を捻って動けないんだよ」とおばあさんが顔をしかめると、おじいさんは慌てて手をはなし、おばあさんの横に腰を下ろしました。そして、水の入った竹筒をおばあさんに差しだして、「じゃあ朝が来たら、村の若い者に助けに来てもおう。それまではここでじっとしていよう」と言いました。おじいさんがもう覆せないもののようにそう宣言したので、おばあさんは、はいはい、と従いました。
「何があったんだい」とおじいさんが尋ねます。
「おチュンがつづらをくれたのさ。あんたが選ばなかった方の大きなつづらをね。えやこらえやこらと一生懸命に運んできたのだけれど、あまりにも重たかったんで、それをここで開けちまった。そうしたら、中から毒虫が幾重にもなって、うじゃりうじゃりと音を上げながら、這い出してくるものだから腰を抜かしたのさ」
 おじいさんは、傍の横倒しになったつづらを見やり、そうか、と言ったきり、なにやら思案顔をしています。おばあさんはそれを横目で見ながら続けます。
「あんたの言うとおり、雀は喋ったね。おチュンは私が舌を切っちまったから口をきけなかったけど、ほかの雀たちが『こんな遠くまでよくいらしてくださいました』だの『つづらを差しあげます』だのとあれこれ言っていたよ」

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