小説

『橋の上、真ん中あたり』室市雅則(『橋立小女郎』(京都府))

 仕事再開。
 リーダーを筆頭にした作業員たちはマンホールの中へ潜って行った。彼らがどのような作業をしているのか俺は知らない。人それぞれ分野というか役割は異なっていて、ここで穴に人が落ちないようにする事が俺の役割であり、それで給料を得ている。だけど、それで良いのかなとも少し思う。穴の中に入りたいわけでも、警備員の仕事が無駄と感じるわけでもない。ただ、ずっとこの仕事をやり続けて、爺さんになって良いのかな。誰に自慢はできなくとも、俺はこれをやったと思えることに挑んでみたい気がする。三十歳を超えて53円に振り回される役割ってのもどうかと思うし。
 しかし、今の今は、この穴から人々を守ることが俺の責務だ。それを全うしようと顔を東西南北へと動かすたび、視界の端っこに彼女の赤い服が入って来る。
 彼女の役割は何だろう。いや、彼か。分からない。まあ良いや。彼女としよう。
 客を捕まえて、どこかの店に連れて行くのだろうか。それとも本当に酒や飯にありついて、何とか凌いでいるのだろうか。
「おい」
 声が聞こえた方を見ると酔っ払いサラリーマン二人組がいた。俺と同じくらいの年齢に見える。二人とも髪型はツーブロックをガッチリ固めていて、俺イケてます感が漂っているが、酒に弱いのか顔は猿の尻のように赤い。
「ちゃんと警備せいよ。俺、落ちるとこやった」
「すんません」
「なんや睨むのか」
「いえ。そんな」
 俺は頭を下げた。
「すんませんでした」
 一人が俺の肩に手を置いた。
「ま、次から気を付けてな」
「はい」
 二人はアホみたいな笑い声を上げて、橋へと向かった。ライトセーバーがあればと本気で思った。頭を上げて、男たちの行方を見やる。
 どうかあいつらには声をかけないでくれ。絶対面倒になる。
 その願いを届かず、彼女が笑みを浮かべて声をかけたのが分かった。男たちは足を止めて、目を見合わすと大笑いをし、一人が彼女を指差した。
 彼女が指を差した男に飛びついた。その拍子にベレー帽が川に落ちていった。彼女と男が橋の上でもつれ合う。
 くそっ。
 俺は駆け出した。すると、彼女は男の背後に回り、男のジャケットの襟を交互に握って絞め始めた。もう一人が剥がそうと彼女を蹴ったが、彼女は必死の形相で食らいついて離さない。俺も辿り着き、二人を剥がそうと彼女の手を掴んだが、力が強くて太刀打ちできない。もう一度、間に割って入ろうとすると彼女が手を離した。絞められていた男は大きく息を吸ってむせた。
「なめんなよ。ボケが」
 彼女は男の声で言った。
 むせながら男は立ち上がり、もう一人と去っていった。
 通行人がいなかったのが幸いだった。
「あの野郎」
 そう言って彼女は立ち上がった。
「大丈夫ですか?」
「あ、肉まんのお兄さん。全然大丈夫よ」
 彼女は、さっと声を変え、スカートをはたきながら地面を見渡した。
「帽子、川に落ちましたよ」
「げっ」
 彼女は欄干から鴨川を見下ろした。俺も隣で彼女と同じように川面を見下ろした。どこかの店の明かりが川面に反射していた。帽子はとっくになかった。
「最悪」
「すんません。戻ります」
「あ、ごめんね」
 軽く会釈をして、俺は現場へと戻った。幸運にも作業員たちは俺の不在に気付かなかったし、穴に落ちた人もいなかった。

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