小説

『まち針心中』犬浦香魚子(『蛇婿入り』)

「三人で喋るの、楽しかった。あたしはほんとに人間になって、人間の友達が出来たみたいだった。雪のことは好き。帆志のことは、もっと好き。あの人間のまぶしさに、あたしは耐えらんない。ねえ、たしかにあたしは蛇だけどさ、だからってこの思いを、無かったことになんかできないんだ」
 武蔵丸はふっと、目を逸らした。揺れている草の先を見つめて、
「俺たちのことは、置いてくのかよ」
 真子は、黙った。彼女は黙ったまま、ゆっくりと、握りしめていた腕をつきだした。武蔵丸の前で手をひらく。
 ちら、と視線をやった彼は、泡を食って思わず後ろに飛びのいた。
「おまえ、それ……!」
 汗ばんだ真子の手のひらには、まち針が一本乗っていた。真子は右手のゆびで、まち針をそっとつまんだ。彼女は言葉をぽつり、ぽつりと、零すように、
「ねえ、武蔵丸。分からないの? 白蛇様だけじゃない。ジャノメ先生だって、あたしのパパだって、欲しくて欲しくて仕方なかったんだ。その人の気持ちがどうしても、欲しくて、我慢できなかったんだよ。あたしたちは、蛇だけどさ……」
 真子はそこで言葉を切った。それから武蔵丸を見上げて、にこっと微笑んだ。
「だから、あたし、心中しようと思って」
 武蔵丸は乾いた声で、「ばかなこと言ってんなよ」とようやく答えた。
「大体、人間が、そんな針で死ぬもんか」
 と、言葉を重ねると、真子は平然とした顔で、
「あたりまえじゃん。帆志を殺しなんかしないよ」
 武蔵丸はため息を吐いた。
「じゃ、なにと心中するってんだよ」
「恋心」
 恋心? と、武蔵丸がきょとんとしているうちに、真子はもう草原を駆け出していた。武蔵丸は慌てて後を追ったが、彼女はぐんぐん、ぐんぐん駆けて、遠ざかってゆく。
「おい、真子!」
 武蔵丸が叫ぶと、真子は走りながらくるりと振り返った。微笑んで、大きく叫ぶ。
「もしもあたしが蛇だってばれそうになったら、その前にまち針であたし、自分ののどを刺して死ぬの」
「真子!」
 ざっと風が草をなぎ倒して、武蔵丸は咄嗟に目をつぶった。彼が薄く瞼をひらいたとき、少女の姿はもうどこにも見えなかった。

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