小説

『しっぺい太郎に気をつけろ』月山(『しっぺい太郎』(静岡県磐田市))

 どこからか、犬の声がする。え? どこだ? やけに近くから聞こえる。まるでこの小屋の中から聞こえてくるようだ。でもこの小屋に犬なんていない。いるのは男と子供だけだ。男はきょろきょろと周りを見回す。いない。犬なんていない。子供しかいない。外か? 小屋の外を見る。犬の姿は見当たらない。小屋の中に視線を戻す。子供しかいない。
 子供が。
 子供が吠える。
「ワン!」
 犬みたいに吠える。
「ワォン! ワウー、グゥオン!」
 子供の姿が。
 犬に変わっていく。
 子供が犬に変わる? なんだそれは、と男は思う。目の前で起こっている事が理解できない。でも、変化していく。子供が犬に……いや……本当に子供が犬になったのか?
 子供のフリをしていた犬が、その正体を現したのじゃあないか?
 真っ白い、大きな犬。
 犬だ、犬が俺を睨んでいる。犬……犬? 犬の話俺最近聞いたな。そうだ猿吉のじいさんが言ってたんだよ。しっぺい太郎に気をつけろって。
「しっぺい……太郎……」
 子供を縛っていた縄は、犬の足元に千切れて落ちていた。
 そうして。

「ああ、やられたなあ」
 痛む体。
「ぅ……ぁ……」
 俺、どうなったんだっけ。ぼやけた視界にボロい天井と、誰かの顔が覗いている。
「だから、しっぺい太郎には気をつけろと言ったろう」
「…………猿、吉……さん」
 よろよろと起き上がろうとして俺は失敗する。床に倒れながら思う。ああそうか、俺は失敗したのか。
「無理に動くな。しっぺい太郎の牙は、そりゃあもう、痛えからなあ」
 まるで自分が噛まれたかのように、猿吉のじいさんは言う。
「寝ていろ。後でゆっくり話してやろうじゃねえか、しっぺい太郎の昔話をよ」

 その後、俺の所属していた組織はあっけなく潰れた。
 それは流石にしっぺい太郎の仕業ではないと信じたい。

1 2 3 4