小説

『古寺の怪』A. Milltz(『耳なし芳一』(山口県など))

 時、所、同じく。木枯らしが冷たさを増し、霜柱が立ち始めた頃。
 お天道様が傾き始める刻に、峠を急ぐ者がある。前に男、後ろに娘。二人は連れだってはいるが、どうにもいかにも余所余所しい。  
 と、道端に若者が行き倒れている。男は若者を見ようともせず、素知らぬ顔で通り過ぎる。娘は小走りに近寄り、若者を介抱した。
「もし、兄さん。これを飲みなさい」
若者はなんとか目を開け、竹筒から水を一口飲んだ。
「じき日が暮れる。ミツ、放っておけ」
先に立つ男がミツを急かす。ミツは素早く荷物を解き、握り飯を取り出して若者に与えた。そして、なにも言わずに去って行った。
 一刻後。道を急ぐ二人は、道端のお地蔵様に気が付いた。
「おい、握り飯があるぜ」
男はお供え物の握り飯に躊躇なく喰らいついた。娘の非難がましい視線などお構いなしだ。
 そしてさらに一刻後。男は腹痛に苦しみだした。悪態をつきながら、草むらで糞をする男。そうこうしているうちに、いよいよ夕闇が迫ってきた。二人がまた先を急ごうと歩き始めた時、後ろから声を掛ける者があった。
「もし、そこのお二人」
娘は振り返り、男は身構える。
「なんだい、あんた」
「怪しい者じゃないですよ」
男は愛想よく笑った。
「わたしは薬の行商です。安芸からの帰りなんですが…」
岩助と名乗るその若者は、夜半にこの峠を越えることの困難さを説いた。
「この峠はまだまだ続くし、道は険しい。それに…」
岩助は声を潜めた。
「日が暮れると、この辺りはちょっと厄介なことが起きるんですよ」
「どういうことだ?」
男は、正面から岩助を見据えた。
「歩きながら話しましょう」
男を軽くいなして歩き始める岩助。
「ちょうど五百年前になります。この辺りは源平合戦の古戦場でね…」
声の調子を変えずに続ける。
「夜になると出るんですよ、平家の鎧武者が」
「馬鹿らしい」
男は即座に吐き捨てた。
「五百年も前におっ死んだ奴らになにができるってんだ」
岩助は先に立って歩く。そして、振り向かずに話し続ける。
「五百年もの間、人を喰らい続けているんです。喰らっても喰らっても、奴らは喰らい足りない」
岩助が背負った風呂敷が、小刻みに揺れる。
「幾人もの腕自慢が、亡霊退治を買って出たのです。彼らは皆、夜明けを迎えることはなかった。自分の脚で、この峠を降りることはなかった」

1 2 3 4 5 6