小説

『古寺の怪』A. Milltz(『耳なし芳一』(山口県など))

 時は元禄、所は長門国のとある峠。秋が足早に通り過ぎ、代わりに木枯らしが吹き始めた頃。
 夜明け前、麓にある小屋の戸を激しく叩く者がある。
「何事か」
小屋の主が戸を開けると、男が倒れ込むようにして家に転がり込んできた。ぴしゃりと戸を閉め、その場にへたり込んで荒い息をつく。主が慌てて誰何すると、男は泥だらけの顔を恐怖に引きつらせてこう言った。
「そこの峠で平家の亡霊に襲われた」

 男の話をまとめるとこうなる。
 昨日の夕刻、峠の道を急いでいると、道端で若者が行き倒れていた。男の介抱で息を吹き返した若者は、青い顔でこう言った。
「明るいうちにこの峠を越さないと…」
先に立って道を急ぎながら、若者は訳を話し始めた。
「この峠には、平家の鎧武者が出るのです」
曰く、この地は源平合戦の古戦場で、死人の怨霊がそこかしこにウジャウジャ居るという。お天道様の力で昼間は形を潜めているが、夜になると闇に乗じて姿を現すのだ。
 二人して急ぎに急いだが、無情にも日は暮れ、おまけに道に迷ってしまった。闇雲に歩いていると、朽ちかけた寺を見つけた。
 建付けの悪い戸を無理やり開けると、果たして、真っ暗な中にぽつねんと僧が座っている。誰もいないと思っていた男は腰を抜かさんばかりに驚き、少し後、ようやく気を取り直して非礼を詫びた。
 僧は黙って頷き、二人に座るよう手で示した。
 若者が手短にいきさつを話し、最後にこう言った。
「わたしは岩助と申します」
「わたしは弥太郎と申します」
二人が名乗った後、僧は静かに名乗ったという。
「拙僧は芳一と申す」
 弥太郎の握り飯を粥にし、それを三人で食べ終わると、芳一は早々に横になった。芳一の寝息が聞こえ始めると、途端に二人とも疲労を覚え、ほどなくして眠りについた。
 夜半…。何者かの声が聞こえる。
「芳一。芳一」

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