小説

『女神』望月滋斗(『死神(落語)』)

「チクショー!」
 男はポケットの中から取りだした指輪をケースごと海に放り投げ、思い切り叫んだ。しかし、そんなことをしたところで男の哀しみが癒えるはずはなかった。
「いっそのこと、ここから……」
 海に身を投げてしまおうと、とうとう柵に足を掛けたそのときだった。
「死に急ぐことはありません」
 しっとりと落ち着いた声に振り向くと、そこには女神が立っていた。その姿は、一目見れば直感的に女神だと認識できるほど美しく整えられていた。まったく欠点のない目鼻立ちの顔は気品ある微笑を浮かべ、黄金の髪の毛は太陽の光をまっすぐに反射し、全身に纏ったキトンは海風を受け、グラスへ注がれている最中のミルクのように滑らかに波打っている。
 目を丸くした男が柵に掛けていた足を地面に戻すと、女神は首から外した白いスカーフを空に向かって一振りした。
 男が一つまばたきをすると、目の前に海があったはずのそこはいつの間にか教会のホールに様変わりしていて、床には火のついた無数のロウソクが所狭しと並んでいた。
「こ、このロウソクの群れは一体?」
「このロウソクは人間の寿命です。自分のロウソクの火が消えた瞬間、その人は亡くなるのです。このホールには全人類のロウソクが並んでおりまして、長いのは赤ん坊の、短いのはお年寄りのものです」
「ははあ、なるほど」
「そしてこれが、あなたのロウソクです」
 女神が指さしたロウソクはまだまだ十分な長さはあるのに、今にも消えてしまいそうなほどの小さな火を宿していた。
「こ、これが俺のロウソク?」
「ええ。とろ火なのは、先ほど自ら命を絶とうとしていましたので」
 男は肩を落とし、深く溜息をついた。
「そもそも、どうして自殺しようだなんて?」
「……プロポーズに失敗したんですよ。俺にはもうこの人しかいないって心に決めていたのに」
「恋の悩みですか。だったら次は恋わずらいのないよう、人生をやり直しましょう」
「やり直す、人生を?」

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