小説

『透明みたい』室市雅則(『不知火の松(神奈川県川崎市)』)

 夕方、出勤のためにアパートを出るとちょうど女性と鉢合わせになった。
「あ、こんにちは」と挨拶をされた。先日の愛ちゃんであった。化粧は整っているらしく、私の顔をしっかりと見た。薄化粧で素朴な印象を受けた。
「こんにちは」
 久しぶりに発する言葉が淀みなく出たことに自分でも驚いた。
「お出かけですか?」
「え、あ、仕事なんです」
「何のお仕事なんですか? あ、すみません。立ち入ったこと」
 私たちは自然と並んで歩き出した。
「コンビナートの警備員です」
「え、あの夜景の工場地帯の?」
「そうです。見たことありますか?」
 彼女は山形県の出身で、数年前に進学の為こちらにやって来たらしい。学生の頃、付き合っていた彼氏とデートで工場の夜景を見たと教えてくれた。
「煙突から火が出てたから火事かと思っちゃったんです」
 私が笑ったせいか、彼女はこちらを向いて狭い眉間に皺を寄せた。
「だってすごだま空明るいがら」
「すごだま?」
「あ、山形弁で『凄く』って意味です」
「すごだま空明るくなるもんね」
 そういうと彼女は大きく口を開けて笑ってくれた。何ともキュートだった。
 あっという間に送迎バスの発着場に着き、足を止めた。
「ここからバスなんです」
「あ、そうですか。今日は楽しかったです。行ってらっしゃい」
「こちらこそ。あ、行って来ます。お疲れ様でした」
「せば!」
 私は、その言葉の意味が分からず首を傾げた。
「山形弁で『それではまた!』です!」
 愛ちゃんは手を振って緑色の外装の焼肉屋が向こうにある横断歩道へと歩いて行った。

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