小説

『ニートと私と灯油のタンク』篠原ふりこ(『女殺油地獄』)

 
 私は一度部屋に戻り、充電器に刺されていた自分のスマホを持ってくる。ロックを解除し、人生で始めて「110」と数字を押してから耳に当てた。
「どこにかけるの?」
 優太はすっかり泣き止んで、私に聞いてくる。どうやら私が彼を助けるために動いていると思っているのだろう。
 スピーカー越しに、警官が「事件ですか?事故ですか?」と聞いてきた。
「男が家に押し入ってきて、刃物を……」
「け、警察にかけたの!? どうして通報なんかするんだ!」
 優太は叫び、私に向かって全力で走ってきた。手を振り上げると、私のスマホをあっという間に取り上げる。
「何するの!」
「だって! 弓ちゃんが、俺のことを見捨てようとするから!」
「あんたを助ける義理なんて私にはもうないでしょ! もう恋人でもなんでもないし、一年間顔をあわせることもなかったじゃない! 私はあんたとの縁は切ったの、都合よく手を貸してもらえるなんて、甘いこと考えないで!」
 優太は、初めて母親に叱られた子供のような、手酷い裏切りを受けて傷ついています、という顔をしている。
「わかった……。もう、弓ちゃんは、俺のことを愛していないんだね……」
「そうなるね」
 しょげた顔をする優太に、ほんの少しだけど、同情しそうになるのをぐっとこらえる。
「でも、俺、まだ弓ちゃんのこと好きなんだ」
「あっそう。だから何?」
 冷酷に突っ撥ねる。ここで少しでも隙を見せてはいけない。何せ、優太は天性のヒモ男なのだから。
「俺は、もう、死ぬしかないのかもしれない……。で、でも、一人で死ぬのは、嫌だ!」
 風向きが突然怪しくなった。私は眉をひそめて、思いつめた顔をしている男を見る。
「ヤクザに嬲られて、痛い思いをするのも嫌だ……だから、殺される前に、俺は、自分で死ぬ……!」
 彼は映画やドラマの見過ぎではないだろうか。話がどんどん危ない方向へ進んで行っているのを、私はなすすべなく聞いていた。

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