小説

『まんじゅうこわい』香久山ゆみ(『まんじゅうこわい』)

「おれは、饅頭がこわい」
 酒の席での馬鹿話。何が怖いかって話題になり、皆が「蛇」やら「仕事」やら「貧乏」やら答える中、ヤスが素っ頓狂なことを言う。きょとんと場が白けちまう。馬鹿言ってんじゃねえよ、と頭を叩かれたヤスはぶすっとした顔で、それでもなお続ける。
「マジな話なんだ。茲許、俺は饅頭が怖くてなんねえ」
 真剣な面で言うもんだから、まあ聞いてみようじゃねえかということになった。

「夜中に小便に起きて布団から出ると、廊下にぼんやり白いもんが見える。いや、幽霊じゃねえよ。床の上に白い……皿のようだ。もちろんそんなもん怖かねえからさ、何でこんな所にと首を傾げながら近づいて、ぎょっとした。皿の上には拳大の白い饅頭が載ってんのさ。おれぁ、驚いて腰抜かしちまった」
「おいおい、それのどこが怖いんだ」
「それが、婆さんの饅頭なんだ」
「お前さんは嫁の実家に住んでるが、そこの婆さんは半年前、お前さんらの祝言前に亡くなったろ」
「婆さんの仏壇に供えた饅頭なんだよ」
「饅頭なんてどれも同じだろ」
 こちらは半ば呆れているのだが、ヤスは青白い顔をしている。周りの連中はすでに別の話題に興じている。
「いや、おれが曼珠堂まで買いに行った徳用饅頭に、婆さんが好きだった芥子の実をてっぺんに振ったもんだ。売ってるもんじゃねえよ」
「あの婆さん好物だったものな。ふうん、けどそれの何が怖いんだい」
 ヤスがぶるぶる肩を震わせる。
「婆さんは結婚に反対してたんだ。財産目当てだとかなんとか」
「そりゃあお前さんみたいな甲斐性無しだとな。定職にも就かねえし、現に今も嫁の実家で面倒見てもらってるものな。……とはいえ、夫婦睦まじくしてんだから恨まれるもんでもないだろうに」
 老舗呉服屋の婆さんは剛情だけれども、気風の良い女だった。情も深い。過ぎたことをあの世に行ってからまでしつこく非難するような女じゃねえぜ。
 なのにヤスは聞く耳持たず、ぶつぶつ独り語つ。
「婆さんは饅頭を喉に詰まらせて死んだんだ」
「それはおかしな話だ。一昨年の正月に詰まらせて大騒ぎして以来、曼珠堂の饅頭を食うのは控えるようになったと聞いたが」
「ああ、あの家では誰も買ってきやしない。だから、おれが買ってきた饅頭を婆さんの部屋にそっと置いた」
「結婚に承諾するよう手土産かい」
 それには答えず、ヤスは続ける。

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