小説

『路地』千田義行(『とおりゃんせ(神奈川県小田原市や埼玉県川越市など日本各地)』)

 江口の冷たい表情は、冷たい風の中でより一層切れ味を増して金村の心を切り裂いた。
「アンタみたいのがいるから、みんな不幸になるんだよ」
 そう言うと、江口はすぐに踵を返して事務所の方へ去って行った。
 金村は、その場から動けなくなった。

 それは、声とも音とも言えない嫌なサウンドだった。
 突然降り出した雨を避けるため傘を取りに戻った金村はそれを聞くと、緊張して中の様子を慎重にうかがった。外は豪 雨で、些細な音はかき消されていた。
 風はなかったが、キャップは床に落ちていた。
 遠野は後ろから江口に覆いかぶさり、今まさに閉じた唇に舌をねじ込んでいるところだった。江口は脱力していた。遠野の顔面には汚い笑みが浮かび、ぶつぶつと小声で何かを囁いていた。遠野の左手がシャツの首元から入っていくのが見えた。普段キャップで見えない江口の視線が、ちかちかと瞬いた雷光に照らされて力なく宙をさまよっていた。
次の瞬間、鳴り響いた雷鳴が金村の意識を呼び覚ました。
 金村は胸ポケットのニコンSを手に取って、ブライトフレームでふたりを捉えた。暗闇に近い室内では、なにも写らない。調光ができない以上、シャッターを切るチャンスは雷光が光った一瞬だけだった。
 研ぎ澄まされた沈黙の中で、金村はブライトフレームの中で蠢くふたりを覗きながら、奇妙な感覚に陥った。
 今自分がしている事は、正義なのか悪なのか。

※※

 ニコンSを手に持ったまま、金村は話を続けた。
「その路地の奥には、小さなお社があったんだ。路地の角で忘れられそうな、小さなお社だった。でも、ちゃんときれいに掃除がしてあって、御供え物もあった。誰かが忘れることなく、見ているんだ。それで、思わずシャッターを切った。3回」金村は、江口の傍らに置いたキャップの方を見ながら話を続けた。そして、ポケットからあの3枚の写真を出した。
「ミスショットだったけどね」

※※

 金村は、何度か瞬いた雷光の瞬間、シャッターを切って、その勢いでそのまま飛び出した。訳の分からない声を上げながら飛び出した金村に、遠野は度肝を抜かれて罵声を残して事務所を出ていった。
 江口はしばらく放心していたが、金村が「証拠は撮ったから」と言うと必死の形相で「絶対に、現像しないで」と燃えるような瞳で言った。
 その後すぐに、江口の涙は止まらなくなった。そして金村は、自分でも訳も分からず路地の話を始めたのだ。
「そこに入ったのは、キミのせいかもしれないって言っただろ。オレはキミに劣等感を抱いていたんだ。現実から逃げ出したかったんだと思う。でも、路地は暗くて、終わりが来るのかも分からない。どこまで進んでいいのかも分からない。そもそも、ここに入ってよかったのかどうかも分からない。メチャクチャ怖かった。まるで今の自分みたいに」

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