小説

『白蛇の母』宮沢早紀(『井の頭 白蛇伝説(東京都三鷹市)』)

 十月六日
 あなたがあんな時間に池に行きたいなんて言った時点でおかしいと思うべきでした。なぜ止めなかったのか、いまだに悔やんでいます。泣いて、泣き疲れて途方に暮れるというのを毎日くりかえしてきました。
 今日、姉さんに連れられて病院へ行ったら、あなたへの想いを文章にすることを先生に勧められました。今日からこの大学ノートに綴ることにします。ノートはあなたの部屋に残っていたものです。文章など久しく書いていない私でも、書きはじめるとどんどん書けてしまうから不思議です。
 あの日以来、私もお父さんも毎日池に行っては、真っ白な蛇になったあなたが飛び込んでいった辺りを何もできずにただぼんやりと見つめています。
 結実、会いたい。帰ってきて。

 十月十日
 子どもを授かるのは難しいとお医者さんに宣告されたはずの私が、何の問題もなくあなたを産むことができたこと、あなたが大きな病気もせずに十八になるまですくすくと成長したこと、しかも平凡な顔立ちの私とお父さんの子とは思えないくらい美しい子であったこと、どれもこれもが奇跡だったと思っています。
 だから前から時々、幸せすぎて何か悪いことが起こるのではないかと不安になることがありました。お父さんに話しても、別に悪いことをしてないのだから後ろめたく思うことないだろう、と笑われていましたが。
 漠然と抱いていた不安がまさか現実のものになるなんて。あなたがいつもより早く帰ってくる予感が当たるととってもうれしかったのに、今は全くうれしくありません。悲しいし、さみしい。

 十月十二日
 あなたがいなくなったばかりの頃を思い出していました。お父さんは怒っていて、なぜ結実なのだ、結実じゃなければならなかったのか、なぜ蛇なのか、俺たちの十八年間は何だったのか、とくりかえしていました。
 あんなに怒っていたお父さんも今は、この季節になっても畑の隅っこに放っておかれたままのひまわりのように元気がありません。会社へ復帰はしましたが、仕事のない日は丸一日、池の前のベンチにぼうっと座っています。とりあえず何か口に入れてほしいので、昼はおにぎりを届けにいっています。
 家での会話も減ってしまいました。お父さんもどこかへ行ってしまわないか、お父さんまで失ってしまったらどうしよう、と不安です。

 十月十五日
 あなたが飛び込んでいった池は、私が小さい頃からとてもお世話になった場所です。どこか遠い国や月へ行ってしまうよりはよかったのかもしれませんが、でも、やっぱりさみしいです。
 あの池は、子どもの頃にはザリガニ釣り、学生時代は手漕ぎボートに乗ってデート、働きはじめてからは夜中にジョギングしたり、散歩したりした、私にとっては思い出のつまった場所なのです。
 あなたのように白い色をしたのは見たことがありませんでしたが、池の周りを歩いていると、時々アオダイショウを見かけることもありました。だから、実は池の主なのだと言ってあなたが蛇に姿を変えたことに、もちろん驚きましたが、全く理解できないわけではありませんでした。

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